ダーフィット・ラマ
ダーフィット・ラマ (David Lama, ネパール語-डेभिड लामा, 1990年8月4日 - 2019年4月16日) は、オーストリアのクライマー、登山家である。Davidを英語式に発音して、デビッド・ラマと表記されることもある。 IFSCクライミング・ヨーロッパ選手権において、2006年にリード競技、2007年にはボルダリング競技で優勝した。パタゴニアのセロ・トーレ南東稜コンプレッサー・ルートのフリークライミングによる初登攀[1][2]でも知られる。 来歴ネパールでガイドとして働いていた父親とオーストリアで看護師として働いていた母親の元に生まれた[3][4]。5歳のときに、ピーター・ハーベラーが主宰していたクライミングキャンプにおいて、ハーベラーにクライミングの才能を見出された。クライミング競技チームのメンバーとなり、15歳でワールドカップに出場し、そのシーズン中にリード競技、ボルダリング競技で勝利をあげた。2011年以降は競技会からは身を引き、アルパイン・クライミングに活動の場を移した。2009年からパタゴニア セロ・トーレ南東稜のコンプレッサー・ルートのフリー化に挑み、2012年に成功した。2013年、このフリー化に対して、ピオレドール賞の特別賞を受賞した[5][6]。また、ナショナル・ジオグラフィックの2013年アドベンチャーズ・オブ・ザ・イヤーのクライマー部門にも選出された[7]。しかし、2009年の最初のトライにおいて彼に同行したレッドブルの撮影クルーがルート上に約60本のボルトを新たに設置したことが強い批判を浴びた。 2018年11月、ヒマラヤ山脈のルナグ・リへの単独登頂に成功。この山への登頂は世界初とされる。ラマはこれまで3回ルナグ・リ登頂に挑んでおり、4回目での偉業達成となった[8]。 遭難2019年4月16日、ハンスイェルク・アウアー、ジェス・ロスケリーと共にカナディアンロッキー、ワプティク連山ハウス・ピークの登山中に雪崩に遭遇。翌日からカナダ国立公園管理局による空中からの捜索が行われたが、生存は絶望視されていた。4月21日、他の2人とともに遺体が発見された[9][10]。 競技会での主な成績ユース選手権選手権ワールドカップ総合ボルダリング競技いずれも1位
リード競技いずれも1位
ロック・クライミング
アルパイン・クライミング
出演
脚注
外部リンク
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