ダリン・ダウンズ
ダリン・バートン・ダウンズ(Darin Burton Downs , 1984年12月26日 - )は、アメリカ合衆国・ミシガン州オークランド郡サウスフィールド出身のプロ野球選手(投手)。左投右打。CPBLの統一セブンイレブン・ライオンズ時代の登録名は「戴倫」、Lamigoモンキーズ時代は「道恩斯」。 経歴プロ入りとカブス傘下時代2003年のMLBドラフト5巡目(全体133位)でシカゴ・カブスから指名され、6月7日に入団。傘下のルーキー級アリゾナリーグ・カブスでプロデビュー。13試合(先発11試合)に登板して0勝2敗・防御率6.57・32奪三振の成績を残した。 2004年はA-級ボイシ・ホークスでプレーし、14試合(先発13試合)に登板して5勝3敗・防御率4.95・61奪三振の成績を残した。 2005年はA級ピオリア・チーフスでプレーし、2試合に先発登板して0勝2敗・防御率18.47と結果を出せず、6月にA-級ボイシに降格。14試合(先発13試合)に登板して5勝4敗・防御率3.50・63奪三振の成績を残した。 2006年はA-級ボイシでプレーし、9試合(先発2試合)に登板して4勝2敗・防御率4.81・24奪三振の成績を残した。8月にはルーキー級アリゾナリーグでプレー。2試合(先発1試合)に登板して1勝1敗・防御率10.80・2奪三振の成績を残した。 2007年はA+級デイトナ・カブスでプレーし、34試合(先発2試合)に登板して3勝7敗2セーブ・防御率4.11・65奪三振の成績を残した。 2008年はまずA+級デイトナでプレーし、17試合に登板して2勝0敗・防御率2.89・25奪三振の成績を残した。5月下旬にAA級テネシー・スモーキーズへ昇格。22試合に登板して0勝2敗・防御率6.56・17奪三振の成績を残した。 レイズ傘下時代2008年7月24日に金銭トレードで、タンパベイ・レイズへ移籍。A+級ベロビーチ・デビルレイズでプレーし、10試合(先発1試合)に登板して0勝3敗・防御率6.00・24奪三振の成績を残した。 2009年はまずA+級シャーロット・ストーンクラブズ[1]でプレーし、20試合(先発19試合)に登板して12勝4敗・防御率2.00・111奪三振の成績を残した。8月にAA級モンゴメリー・ビスケッツへ昇格。2試合に先発登板して0勝2敗・防御率4.76・9奪三振の成績を残した。 2010年はまずAA級モンゴメリーでプレーし、18試合(先発3試合)に登板して6勝2敗・防御率1.69・57奪三振の成績を残した。6月にAAA級ダーラム・ブルズへ昇格。23試合(先発1試合)に登板して6勝2敗・防御率4.46・45奪三振の成績を残した。11月6日にFAとなった。 マーリンズ傘下時代2010年11月8日にフロリダ・マーリンズとマイナー契約を結んだ。 2011年はまずAA級ジャクソンビル・サンズでプレーし、22試合(先発13試合)に登板して2勝5敗・防御率4.83・48奪三振の成績を残した。7月にAAA級ニューオーリンズ・ゼファーズへ昇格。10試合(先発5試合)に登板して3勝2敗・防御率4.29・39奪三振の成績を残した。11月2日にFAとなった。 タイガース時代2011年11月14日にデトロイト・タイガースと契約。シーズンオフにベネズエラ・ウィンターリーグに参加し、アラグア・タイガースに所属した[2]。9試合に先発登板して2勝3敗・防御率3.35・25奪三振の成績を残した[3]。 2012年はAAA級トレド・マッドヘンズでプレーし、25試合に登板して0勝2敗・防御率2.15・33奪三振の成績を残した。7月3日にメジャー初昇格を果たし[4]、同日のミネソタ・ツインズ戦でメジャーデビュー。2点ビハインドの9回表に5番手として登板し、1回を投げ無安打無失点1四球1奪三振だった。この年メジャーでは18試合に登板して2勝1敗・防御率3.48・20奪三振の成績を残した。 2013年は開幕ロースター入りを果たした。7月7日に肩回旋筋腱板炎で故障者リスト入りした[5]。A級ウェストミシガン・ホワイトキャップス、AAA級トレドでリハビリを行い、9月10日にメジャーへ再昇格した[6]。この年は29試合に登板して0勝2敗・防御率4.84・12奪三振の成績を残した。 アストロズ時代2013年11月1日にウェイバーでヒューストン・アストロズへ移籍した[7]。 2014年は45試合に登板して2勝1敗・防御率5.45・27奪三振の成績を残した。12月23日に40人枠を外れ、AAA級フレズノ・グリズリーズへ降格した。 2015年5月21日に自由契約となった。 独立リーグ時代2015年7月13日に独立リーグ・アトランティックリーグのロングアイランド・ダックスと契約。 台湾時代2016年8月からCPBLの統一セブンイレブン・ライオンズでプレーし、オフに退団。 2017年からはLamigoモンキーズでプレーする。 2018年5月27日にLamigoから解雇される。 サルタンズ時代2018年7月25日にメキシカンリーグのモンテレイ・サルタンズと契約を結んだ。シーズン後にFAとなった。 独立リーグ時代(二期)2019年4月2日にアトランティックリーグのロングアイランド・ダックスと契約を結んだ[8]。 スティーラーズ時代2019年6月4日にメキシカンリーグのモンクローバ・スティーラーズと契約を結んだ。6月10日に放出された。 独立リーグ時代(三期)2019年6月14日にアトランティックリーグのロングアイランド・ダックスと契約を結んだ。シーズン後にFAとなった。 豪州リーグ時代2019年12月25日にオーストラリアン・ベースボールリーグのメルボルン・エイシズと契約を結んだことが発表された。シーズンでは19回で防御率0.95を記録した[9]。 独立リーグ時代(四期)2021年3月4日、アトランティックリーグのロングアイランド・ダックスの選手兼任投手コーチに就任することが発表された[10]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
表彰
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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