ダフ・マッケイガン
ダフ・マッケイガン(Duff "Rose" McKagan 本名:Michael Andrew McKagan、1964年2月5日 - )は、アメリカ合衆国出身のロックミュージシャン、マルチプレイヤー。 世界的なロックバンド「ガンズ・アンド・ローゼズ」のベースを担当。主宰するバンド「Loaded」では、ボーカルとギターも務める。また、数々のプロジェクトに参加した実績をもつ。 来歴ワシントン州シアトルにて、良家の8人兄弟の末っ子として生まれる。ダフという名前は、子供の頃からのあだ名で、近所にも同じマイケルという名の男の子がいたため、区別するために母親がつけたもの。 15歳頃に「Vains」というグループでバンド活動を始める。その後「Fastbacks」「The Fartz」「10 Minute Warning」などのパンク系バンドを経て、1983年に10 Minute Warningの同僚グレッグ・ギルモアと共にプロのミュージシャンを目指し、ロサンゼルスを本拠を移す。 その後、新聞広告を通じスラッシュやスティーヴン・アドラーと出会い、「ロード・クルー」というバンドを結成するも、専任ボーカルが見つからなかったため、すぐにバンドは停滞状態に。そこへハリウッド・ローズとL.A.ガンズが合併したバンド「ガンズ・アンド・ローゼズ」から声がかかり、加入することとなる。 1987年、ガンズ・アンド・ローゼズの一員として、アルバム『アペタイト・フォー・ディストラクション』でデビュー。 1993年、ソロ・アルバム『ビリーヴ・イン・ミー』発表。USE YOUR ILLUSION ツアーの合間を縫って完成させた。全パートを自分でこなした曲もあれば、ジェフ・ベック、レニー・クラヴィッツ、セバスチャンバックなども参加。 1994年に、アルコールの過剰摂取により急性膵炎を患い、膵臓が破裂。一時、死の淵を彷徨うも奇跡的に生還。これをきっかけにアルコール及びドラッグを断ち、クリーンになることを決意する。同時に、地元に自宅を構える。 1995年、スティーヴ・ジョーンズ(元セックス・ピストルズ)、ジョン・テイラー(デュラン・デュラン)、マット・ソーラムと共に「ニューロティック・アウトサイダーズ」を結成、1996年にはアルバム『ニューロティック・アウトサイダーズ』を発表。 1997年、ガンズ・アンド・ローゼズを脱退。古巣のパンク・バンド「10 Minute Warning」を復活させ、13年ぶりに活動。 1999年、ソロ第2作『ビューティフル・ディジーズ』を完成させるも、レコード会社との契約上の理由から未発表のままお蔵入りとなる。その後ソロ活動を経て、自身のバンド「ローデッド(Loaded)」を結成し、アルバムを2作(内1枚はライブ会場とオフィシャル・サイトの通販のみで販売)とEP1枚を発表。ローデッドではボーカルとギターを担当。 2001年、赤坂BLITZにて、かねてから親交のあった「LUNA SEA」のJ主催のイベント『FIRE WIRE』にサプライズ出演し、その後の追加公演にも、スティーヴ・ジョーンズやイアン・アストベリー(元THE CULT)などと共に、自身も「ローデッド」として参加した。 翌2002年には、単独来日公演も行っている。 同じガンズを脱退したスラッシュとマット・ソーラム、元ストーン・テンプル・パイロッツのスコット・ウェイランド、ローデッドなどにも参加したことのあるデイヴ・クシュナーらと共に「ヴェルヴェット・リヴォルヴァー」を結成。 2008年10月19日、さいたまスーパーアリーナで行われたロックフェス『LOUD PARK』に、「Duff McKagan's LOADED(ダフ・マッケイガンズ ローデッド)」の名義で出演した。 2010年10月14日、ロンドンのO2アリーナで行われたガンズのコンサートに飛び入り参加し、アクセル・ローズと13年ぶりの共演を果たした[1][2]。 2012年、ハードロック・バンド「Walking Papers」を結成。 2015年、アリス・クーパー、ジョニー・デップ、ジョー・ペリーを中心に発足したスーパーグループ・プロジェクト「ハリウッド・ヴァンパイアーズ」に参加し、ライブツアーの一員としても名を連ねる[3]。 2016年、スラッシュと共に古巣「ガンズ・アンド・ローゼズ」に、19年ぶりの正式復帰[4]。 人物
主な参加グループ
ディスコグラフィー主宰ソロ作品
(Duff McKagan's) Loaded
グループ作品→ガンズ・アンド・ローゼズの参加作品は、「ガンズ・アンド・ローゼズの作品」を参照
The Fartz
10 Minute Warning
Walking Papers
Hollywood Vampires
コンピレーション
脚注出典
著作
外部サイト
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