ダヌービオ・フットボル・クルブ(スペイン語: Danubio Fútbol Club)は、ウルグアイの首都モンテビデオを本拠地とするサッカークラブである。2023シーズンはプリメーラ・ディビシオンに所属。
概要
クラブ創設は1932年。モンテビデオの強豪クラブの中では比較的歴史が浅いが、1948年にプリメーラ・ディビシオンに初昇格して以来、安定した成績を残している。ペニャロールとナシオナルの2強体制が続くウルグアイリーグにおいて、近年はデフェンソールと並んで3番手のクラブと見なされている。デフェンソールとの対戦はクラシコ・デ・ロス・メディアーノス(Clásico de los Medianos)と呼ばれている[2]。
2019シーズン終了時点で、プリメーラ・ディビシオン優勝回数は4回で、ペニャロール、ナシオナルに次いで3位タイである。コパ・リベルタドーレスには8回出場しており、最高位は1989年のベスト4である。
1部リーグから4部リーグまでの全カテゴリーで優勝経験がある、同国で唯一のクラブである。
歴史
1932年3月1日、ブルガリア出身のミゲル・ラサロフとフアン・ラサロフ兄弟が中心となり、モンテビデオのニカラグア共和国学校の学生と共にダヌービオFCを創設した。クラブ名称は、ヨーロッパ東部を流れる大河ドナウ川(スペイン語: Danubio)に由来する[3]。
プリメーラ・ディビシオンには1948シーズンに初参加を果たしたが、この年はストライキによりシーズン途中で打ち切りになった。翌1949シーズン以降、1960シーズンと1970シーズンを除いて、常に1部リーグに在籍している。コパ・リベルタドーレスには1978年に初出場を果たした。
イルド・マネイロ監督に率いられた1988シーズンは18勝4分2敗で勝ち点40を獲得し、2位のペニャロールに勝ち点9の大差をつけて初優勝を果たした。翌1989年のコパ・リベルタドーレスでは、ペニャロール、ボリバル(ボリビア)、ザ・ストロンゲスト(ボリビア)と同組となり、ペニャロールに次ぐ2位でグループステージを突破した。決勝トーナメント1回戦ではナシオナル・モンテビデオとの同国対決に勝利し、準々決勝ではCDコブレロア(チリ)に勝利した。準決勝でアトレティコ・ナシオナル(コロンビア)に敗れたが、ベスト4という好成績を残した。
1980年代から1990年代前半にかけて安定して上位でシーズンを終えている。ヘラルド・ペルーソ監督に率いられた2004シーズンはナシオナル・モンテビデオとのプレーオフに勝利して2回目の優勝を飾った。グスタボ・マトサス監督に率いられた2006-07シーズンはアペルトゥーラ(前期)、クラウスーラ(後期)を共に制して3回目の優勝を飾った。2013-14シーズンは、モンテビデオ・ワンダラーズとのプレーオフを制して、4回目の優勝を遂げている。
クラブ最多出場記録保持者はカルロス・ロメーロで、1947年-1962年にかけて411試合に出場した。クラブ最多得点記録保持者はディエゴ・ペローネで、1996年-2003年、2004年、2009年、2010年-2012年の4期間で72ゴールを記録した。ペローネに続くのがルベン・ダ・シルバ(通称ポリジータ、Polillita)で、1986年-1989年、2001年-2004年の2期間で71ゴールを記録した。ダ・シルバに続くのがイグナシオ・リッソで、1999年-2002年、2004年-2005年の2期間で69ゴールを記録した。
下部組織
ダヌービオの下部組織は優れた選手を多く輩出している。後にウルグアイ代表やヨーロッパ5大リーグで活躍した選手も多い。アルバロ・レコバは1994年にトップチームデビューし、ナシオナル・モンテビデオを経由して1997年にインテル・ミラノ(イタリア)に移籍した。ウルグアイ代表としては69試合に出場。ファビアン・カリーニは1996年にデビューし、2000年にユヴェントス(イタリア)に移籍。ウルグアイ代表としては74試合に出場。ディエゴ・フォルランは1991年から1994年までダヌービオの下部組織に在籍。1994年にCAインデペンディエンテ(アルゼンチン)の下部組織に移った。2001年にマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)に移籍。ビジャレアル、アトレティコ・マドリード(共にスペイン)在籍時にはラ・リーガで2度の得点王に輝いた。ウルグアイ代表としては100試合以上に出場し、2010年のワールドカップ・南アフリカ大会ではゴールデンボール(最優秀選手)に輝いた。エディンソン・カバーニは10代前半からダヌービオの下部組織に所属。SSCナポリ(イタリア)でセリエA得点王、パリ・サンジェルマン(フランス)ではリーグ・アンMVPと2度の得点王を獲得した。
他にも、ルベン・ソサ、マルセロ・サラジェタ、ルベン・オリベーラ、アドリアン・デアン、ルベン・ダ・シルバ(ポリジータ)、ハビエル・チェバントン、リチャルド・ヌニェス、ワルテル・ガルガノ、カルロス・グロスミュラー、イグナシオ・マリア・ゴンサーレス、クリスティアン・ストゥアーニ、ネリー・カスティージョ、リカルド・ゲーロ・ロドリゲスなどがダヌービオの下部組織出身である。
ユニフォーム
アマチュアリーグ最後(1931年)の王者モンテビデオ・ワンダラーズに敬意を表し、1932年のダヌービオ創設時にワンダラーズのユニフォームカラー(白色と黒色)を導入した。左肩から右腰まで斜めに入る一本線のデザインは、アルゼンチンの強豪リーベル・プレートのユニフォームにインスパイアされたものであるが、リーベル・プレートのように白地に赤線ではなく、白地に黒線を使用している。基本的にパンツは黒色、ソックスは白色である。CSミラマール・ミシオネスやワンダラーズなどが同系統の配色を使用していたため、2005-06シーズンにはサードユニフォームとして、通常とは異なる緑地に白斜線のシャツを採用した。しかし緑色のユニフォーム着用時にワンダラーズやミラマールに敗れることが多かったため、2007-08シーズンを最後に緑色のユニフォームは使われなくなった。現在はサードユニフォームに赤色が使用されている。
タイトル
国内タイトル
国際タイトル
なし
過去の成績
- コパ・リベルタドーレス - 8回出場
- 1978 - グループステージ敗退
- 1984 - グループステージ敗退
- 1989 - ベスト4
- 2005 - グループステージ敗退
- 2007 - ファーストステージ敗退
- 2008 - グループステージ敗退
- 2015 - グループステージ敗退
- 2019 - セカンドステージ敗退
現所属メンバー
- 2023年8月28日現在現在
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
歴代監督
歴代所属選手
GK
DF
MF
FW
脚注
- ^ “Danubio FC”. transfermarkt. 2 January 2020閲覧。
- ^ このクラシコは、クラシコ本来の歴史的な地域ライバルに基づくものではなく、近年好成績を残している2クラブの対戦をマスメディアが持ち上げたものである。そのため、クラシコと呼ぶことに否定的な意見もある。
- ^ “Danubio's river of talent”. FIFA.com (2008年7月23日). 2009年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年1月13日閲覧。
- ^ ディビシオナル・インテルメディアは、1915シーズン-1941シーズンは2部相当リーグであったが、1942シーズン-1971シーズンは3部相当リーグであった。
外部リンク