ダニエル・カマレナ
ダニエル・リカルド・カマレナ(Daniel Ricardo Camarena、1992年11月9日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ボニータ出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 経歴プロ入りとヤンキース傘下時代2011年のMLBドラフト20巡目(全体629位)でニューヨーク・ヤンキースから指名され、同年8月16日にヤンキースと契約を結び入団[1]。 2012年より傘下ルーキー級のガルフ・コーストリーグ・ヤンキースでキャリアを開始した。ヤンキース傘下では2017年までプレーし、最高で傘下AAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースまで昇格した[1]。オフの11月6日にフリーエージェントとなった[1]。 2018年1月8日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングには招待選手として参加することになった[1]。4月3日にトレードでヤンキースに復帰した[1]。同年も傘下AAA級スクラントンでプレーしていたが、5月20日に放出された[1]。 ジャイアンツ傘下時代2018年5月24日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結ぶ[1]。ジャイアンツ移籍後は主に傘下AAA級サクラメント・リバーキャッツでプレーした。オフの11月2日にFAとなった[1]。 ツインズ傘下時代2019年1月19日にミネソタ・ツインズとマイナー契約を結ぶ[1]。シーズン開幕後は傘下AAA級ロチェスター・レッドウイングスでプレーしていた。4月29日に放出された[1]。 ヤンキース傘下復帰2019年5月8日にヤンキースと三たびマイナー契約を結ぶ[1]。7月6日に40人枠入りし、メジャー初昇格を果たしたが、出場機会は無かった[1]。翌日にマイナー降格[1]。8月13日に放出された[1]。 パドレス時代2020年2月13日にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだが[1]、この年はCOVID-19の影響でマイナーリーグの全試合が中止されたため、試合出場の機会はなかった[1]。ただし、7月19日には同年のロースターに関する新規定によって設けられたプレーヤー・プールに登録され、代替トレーニング地にて調整を行っていた[1]。 2021年は開幕から傘下AAA級エル・パソ・チワワズでプレーしていたが、6月18日にビジターゲーム時の予備登録選手(タクシー・スクワッド)に選抜され、翌19日にアクティブ・ロースター入りしてメジャーに昇格した[1]。同日の対シンシナティ・レッズ戦(ペトコ・パーク)でメジャー初登板を果たし、2.2回3失点の投球内容だった。この試合後にいったんマイナー降格となったが、7月8日に再昇格し、同日の対ワシントン・ナショナルズ戦(ペトコ・パーク)で、3回6失点でノックアウトされた先発のダルビッシュ有の後を受けて4回から登板。2回2失点の内容だったが、4回裏二死満塁の場面でマイナーの同僚だった加藤豪将のバットを借りて打席に立つと、ナショナルズの先発投手だったマックス・シャーザーからMLB初安打を満塁本塁打で記録[2][3]。前回登板時に1打席立っていたため初打席本塁打は逃したが、それでもパドレスの投手による満塁本塁打は1970年のマイク・コーキンス以来チーム史上2人目であり、またリリーフ投手による満塁本塁打は1985年のドン・ロビンソン(ピッツバーグ・パイレーツ)以来であるほか、投手のMLB初安打が満塁本塁打となった事例については1898年のビル・ダッグルビー(フィラデルフィア・フィリーズ)以来123年ぶりの記録となった[4]。オフの11月7日にFAとなった[1]。 2022年1月24日にマイナー契約でパドレスと再契約を結んで、翌25日に傘下のAAA級エルパソに配属された[1]。 シーズン未登板のまま4月7日に一旦自由契約となった後、4月14日に新たなマイナー契約を結び直したが[1]、4月19日にトミー・ジョン手術を受け、以後はリハビリのためシーズン終了となった。オフの11月6日にFAとなった。 2023年に手術から復帰し、2024年までパドレスの傘下マイナー球団でプレーしたが、メジャー昇格の機会はなかった。 現役引退後2025年よりパドレス傘下ルーキー級アリゾナ・コンプレックスリーグ・パドレスの投手コーチを務める[5][6]。 詳細情報年度別投手成績
背番号
出典
関連項目外部リンク
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