ダットサン・14型
ダットサン14型(ダットサン14がた)は、1935年2月に導入され[2]、1936年まで日産自動車によって製造された日本初の量産車である。15 PS (11 kW) のサイドバルブエンジンを搭載し、小型自動車に分類されるいくつかのボディスタイルが存在した。ハンプシャーにあるイギリス国立自動車博物館によると、14型は「日本の自動車産業の誕生を告げた」と紹介されている[3][4]。 デザインダットサン14型は、外観的には先に発表されたダットサン13型と非常によく似ていた。唯一の顕著な違いは、ボンネットの上に飛び跳ねるウサギ(脱兎)のマスコットが追加されたことである[1]。このマスコットは日産自動車に勤めていたデザイナー、富谷龍一によるデザインであり[5]、全体のスタイリングも担当している。 機械的には、ダットサン13型の古いDATエンジンが、排気量722 ccのサイドバルブ直列4気筒エンジンである新しいダットサン・7型エンジンに置き換えられた。新しいエンジンは小型ではあるが、出力は 15 PS (11 kW) でより強力だった。エンジンは3速MTギアボックスを介して後輪を駆動し、最高速度は 80 km/h (50 mph) に達した[5]。 サスペンションは従来同様にリーフ式サスペンションを採用しているが、フロント側の取り付け位置が変更されたことで、悪路で横転しやすい弱点を改善した[6]。
生産ダットサン14型は、日産が横浜の新工場で生産した最初の車である[7][1]。この工場では米国から輸入した多くの工具や技術を活用し、初めて同じ工場でボディとシャーシの両方を組み立てることができた[5]。このため以前の設備に比べると大量生産が可能になった。最初の車両は1935年4月12日に生産ラインから出荷された[7]。 イギリス国立自動車博物館にある車両は、1935年にハーバート・オースチンによって輸入されたものであるが、オースチンは特許侵害の可能性を調査するため、何の措置も取らなかった。引き渡しの購入資金は、欧州日産が提供した[4]。 生産台数ダットサン14型は1935年4月から1936年4月までに合計3,800台が生産され、そのうち53台が輸出された[5]。この車はオースチン・7 とスタイリングが似ており、当初はオーストラリアへ、そして 1936年にはニュージーランドへの輸出に大きく貢献した[7]。 ダットサン・14T型→「日産・ダットサントラック」も参照
日産は同時期に、同工場でダットサン14型をベースにした商用車ダットサン14T型を生産した。このトラックの前半分は、ウサギのオーナメントやフォード・モデルYからヒントを得たクロムメッキグリル[4]を含め、乗用車の14型と同じであった[5]。 脚注
関連項目
外部リンク
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