ダイハード打線(ダイハードだせん)は、主に2001年~2003年の、福岡ダイエーホークスの打線の愛称である[1]。
概要
1999年に福岡移転後最初のパ・リーグ優勝・日本一、2000年に福岡移転後初のパ・リーグV2を達成したダイエー打線の愛称として、当時球団社長であった高塚猛が付けた。ダイハードには「不死身」という意味があることから「何点取られても決して諦めない」という意味が込められ、また英語でダイハードの綴り(Die Hard)とダイエーホークスの綴り(Daiei Hawks)が似ていることから命名された。
この愛称は地元福岡のマスメディアを中心に使われたが、地元でもあまり浸透しなかった。チーム名が「ソフトバンクホークス」となって以降はほとんど使われなかったが、2016年の週刊ベースボールでの「あなたの印象に残っている最強打線は?」という読者アンケートで2位となった[1]。
布陣
打撃成績はNPB.jp 日本野球機構、日本プロ野球RCAA&PitchingRunまとめblog、BASEBALL-REFERENCE.COMを参照した。
2001年
- パ・リーグチーム打撃成績
- 布陣
打順 |
守備 |
選手 |
打席 |
打率 |
本塁打 |
打点 |
盗塁 |
備考
|
1 |
中 |
柴原洋 |
左 |
.302 |
7 |
49 |
8 |
打率リーグ10位
|
2 |
左 |
ペドロ・バルデス |
左 |
.310 |
21 |
81 |
1 |
打率リーグ8位
|
3 |
二 |
井口資仁 |
右 |
.261 |
30 |
97 |
44 |
打率リーグ27位、盗塁王、B9(二)、GG賞(二)
|
4 |
三 |
小久保裕紀 |
右 |
.290 |
44 |
123 |
6 |
打率リーグ12位
|
5 |
一 |
松中信彦 |
左 |
.334 |
36 |
122 |
2 |
打率リーグ3位
|
6 |
捕 |
城島健司 |
右 |
.258 |
31 |
95 |
9 |
打率リーグ28位、B9(捕)
|
7 |
右 |
秋山幸二 |
右 |
.286 |
11 |
32 |
1 |
規定打席未到達
|
8 |
DH |
トニー・ミッチェル |
右 |
.193 |
10 |
20 |
0 |
規定打席未到達
|
大道典嘉 |
右 |
.325 |
5 |
36 |
0 |
規定打席未到達
|
9 |
遊 |
鳥越裕介 |
右 |
.174 |
2 |
16 |
6 |
規定打席未到達
|
2001年頃から飛ぶボールが導入されたとされ、事実パ・リーグ総本塁打数が前年から大幅増の1021本塁打と1986年以来となる1000本以上の本塁打を記録するなど、パ・リーグが極端に投低打高化した年。ダイエーも例に漏れず打ちまくり、大阪近鉄バファローズとともにチーム総本塁打200本以上[注 1]、30本塁打以上を記録したパ・リーグの打者が12人いたが、その中の4人がダイエー勢だった[注 2]。特に小久保はダイエー球団としては歴代最多の44本塁打を記録した(リーグ4位)。なお、2004年に松中がダイエー球団歴代最多本塁打記録に並んでいる。
ペナントレースは千葉ロッテマリーンズと西武ライオンズに負け越したこともあり、19勝9敗と大きく勝ち越した近鉄にリーグ3連覇を阻止された。
2002年
- パ・リーグチーム打撃成績
チーム |
順位 |
得点 |
安打 |
打率 |
本塁打 |
打点 |
盗塁 |
OPS |
RCWIN
|
西武ライオンズ |
1位 |
672 |
1315 |
.280 |
183 |
644 |
107 |
.795 |
12.92
|
大阪近鉄バファローズ |
2位 |
598 |
1223 |
.258 |
177 |
579 |
32 |
.752 |
4.12
|
福岡ダイエーホークス |
2位 |
630 |
1258 |
.267 |
160 |
606 |
72 |
.750 |
3.81
|
千葉ロッテマリーンズ |
4位 |
500 |
1135 |
.2466 |
101 |
478 |
57 |
.686 |
-5.57
|
日本ハムファイターズ |
5位 |
506 |
1149 |
.2469 |
146 |
486 |
72 |
.702 |
-3.32
|
オリックスブルーウェーブ |
6位 |
438 |
1083 |
.235 |
102 |
416 |
86 |
.648 |
-11.81
|
6球団合計 |
- |
3344 |
7163 |
.255 |
869 |
3029 |
426 |
.723 |
-
|
- 布陣
打順 |
守備 |
選手 |
打席 |
打率 |
本塁打 |
打点 |
盗塁 |
備考
|
1 |
中 |
柴原洋 |
左 |
.269 |
4 |
43 |
5 |
|
2 |
二 |
井口資仁 |
右 |
.259 |
18 |
53 |
21 |
打率リーグ24位
|
3 |
左 |
ペドロ・バルデス |
左 |
.303 |
21 |
76 |
2 |
打率リーグ7位
|
4 |
三 |
小久保裕紀 |
右 |
.292 |
32 |
89 |
8 |
打率リーグ11位
|
5 |
一 |
松中信彦 |
左 |
.260 |
28 |
83 |
1 |
打率リーグ23位
|
6 |
捕 |
城島健司 |
右 |
.293 |
25 |
74 |
8 |
打率リーグ10位
|
7 |
右 |
秋山幸二 |
右 |
.249 |
5 |
24 |
0 |
規定打席未到達
|
8 |
DH |
大道典嘉 |
右 |
.296 |
6 |
36 |
1 |
規定打席未到達
|
9 |
遊 |
鳥越裕介 |
右 |
.251 |
4 |
25 |
7 |
規定打席未到達
|
新ストライクゾーンが導入され、前年から一転してセ・パ両リーグともに投手成績が上昇し、打撃成績が下降。パ・リーグでは1975年以来となる全球団チーム防御率3点台以下を記録。パ・リーグ平均打率は00年代最低となる.255に落ち込み、リーグ総本塁打数も152本減となる869本に落ち込んだ。チーム打率が上昇したのは優勝した西武ライオンズのみであり、本塁打はパ・リーグ全球団減少した。
前年はパ・リーグ計12人の打者が本塁打30本以上を記録したが、この年は7人に減少し、ダイエー勢では小久保のみだった。ダイエーのチーム打率はリーグ2位(.267)と順位を維持したが、本塁打数はリーグ3位(160本)と順位を落とした。ペナントレースの順位は前年同様2位[注 3]。また、この年で秋山幸二が引退。引退表明した8月以降は、秋山の代役として村松有人や出口雄大の出場が増えた。
2003年
- パ・リーグチーム打撃成績
チーム |
順位 |
得点 |
安打 |
打率 |
本塁打 |
打点 |
盗塁 |
OPS |
RCWIN
|
福岡ダイエーホークス |
1位 |
822 |
1461 |
.297 |
154 |
794 |
147 |
.828 |
7.19
|
西武ライオンズ |
2位 |
692 |
1295 |
.2714 |
191 |
656 |
84 |
.794 |
0.75
|
大阪近鉄バファローズ |
3位 |
718 |
1302 |
.274 |
187 |
695 |
83 |
.805 |
2.54
|
千葉ロッテマリーンズ |
4位 |
651 |
1292 |
.2713 |
145 |
628 |
68 |
.772 |
-3.28
|
日本ハムファイターズ |
5位 |
675 |
1310 |
.269 |
149 |
645 |
90 |
.756 |
-4.89
|
オリックスブルーウェーブ |
6位 |
652 |
1333 |
.276 |
174 |
622 |
74 |
.782 |
-2.28
|
6球団合計 |
- |
4210 |
7993 |
.276 |
1000 |
4040 |
546 |
.790 |
-
|
- 布陣
打順 |
守備 |
選手 |
打席 |
打率 |
本塁打 |
打点 |
盗塁 |
備考
|
1 |
中 |
村松有人 |
左 |
.324 |
6 |
57 |
32 |
打率リーグ8位、GG賞(外)
|
2 |
三 |
川﨑宗則 |
左 |
.294 |
2 |
51 |
30 |
打率リーグ21位
|
3 |
二 |
井口資仁 |
右 |
.340 |
27 |
109 |
42 |
打率リーグ4位、盗塁王、B9(二)、GG賞(二)
|
4 |
一 |
松中信彦 |
左 |
.324 |
30 |
123 |
2 |
打率リーグ9位、打点王、B9(一)
|
5 |
捕 |
城島健司 |
右 |
.330 |
34 |
119 |
9 |
打率リーグ6位、シーズンMVP、B9(捕)、GG賞(捕)
|
6 |
左 |
ペドロ・バルデス |
左 |
.311 |
26 |
104 |
1 |
打率リーグ11位
|
7 |
DH |
大道典嘉 |
右 |
.281 |
4 |
51 |
0 |
規定打席未到達
|
フリオ・ズレータ |
右 |
.266 |
13 |
43 |
0 |
規定打席未到達
|
8 |
右 |
柴原洋 |
左 |
.333 |
4 |
53 |
11 |
打率リーグ5位、GG賞(外)
|
9 |
遊 |
鳥越裕介 |
右 |
.212 |
1 |
25 |
5 |
規定打席未到達
|
前年の新ストライクゾーンが廃止され、パ・リーグが大幅に投低打高化した年。パ・リーグ6球団のチーム打率は前年優勝の西武を除く5球団が上昇し、日本ハムを除く5球団がチーム打率.270以上、リーグ平均打率が.276を記録。更にパ・リーグ総本塁打数も1,000本と歴代屈指の打高年となった。
一方、ダイエーは本塁打数が前年に比べ6本下回る154本(リーグ4位)とパ・リーグで唯一前年の本塁打数を上回ることができなかったが、チーム打率.297[注 4]・出塁率.369[2]・長打率.460を記録し、パ・リーグの3割打者19人中6人をダイエー勢で占め[注 5]、ダイエー勢4人が100打点以上を記録[注 6]。更に盗塁数トップ3をダイエー勢で独占した(井口、村松、川崎)。この年のオープン戦で右膝靭帯を断裂した小久保は年間を通じて出場機会が無かったが、代役として川崎が台頭した。
それまで打撃面では非力だった村松が打撃開花し、1番に定着。村松がシーズン終盤故障離脱した際には、出口雄大が代役として出場していた。
7月13日の西武戦では松坂大輔を1回途中で降板させ勝利するなど、西武に1981年以来22年ぶりに勝ち越してのリーグ完全優勝を果たし、さらに4年ぶりに日本一を奪回した。
オフには村松がFAでオリックス・ブルーウェーブへ、小久保も命名者の高塚と対立したことが発端となり、無償トレードで読売ジャイアンツへ移籍した。
なお、一般的に左投げの野手が入ることができるとされている一塁と外野の守備に、松中、バルデス、村松、柴原と、全て左投げが入った非常に珍しい打線である。
参考
1999年優勝時
打順 |
守備 |
選手 |
打席 |
打率 |
本塁打 |
打点 |
盗塁 |
備考
|
1 |
右 |
秋山幸二 |
右 |
.256 |
12 |
44 |
3 |
打率リーグ27位、GG賞(外)
|
2 |
中 |
柴原洋 |
左 |
.263 |
5 |
26 |
22 |
打率リーグ22位
|
3 |
左 |
メルビン・ニエベス |
両 |
.257 |
17 |
43 |
0 |
規定打席未到達
|
4 |
三 |
小久保裕紀 |
右 |
.234 |
24 |
77 |
4 |
打率リーグ30位
|
5 |
DH |
吉永幸一郎 |
左 |
.275 |
16 |
38 |
0 |
打率リーグ13位
|
6 |
捕 |
城島健司 |
右 |
.306 |
17 |
77 |
6 |
打率リーグ3位、B9(捕)、GG賞(捕)
|
7 |
一 |
松中信彦 |
左 |
.268 |
23 |
71 |
5 |
打率リーグ19位
|
8 |
遊 |
井口忠仁 |
右 |
.224 |
14 |
47 |
14 |
打率リーグ32位
|
9 |
二 |
浜名千広 |
左 |
.226 |
2 |
27 |
5 |
打率リーグ31位
|
1999年シーズンは城島がリーグ3位となる.306を記録。パ・リーグ平均打率が.259、パ・リーグ3割打者が4人(イチロー、松井稼頭央、城島、タフィ・ローズ)しかいない打低年にもかかわらず結果を残した。一方で主砲の小久保が7月まで打率1割台と不振に喘ぎ、浜名、井口のダイエー勢3名で打率ワースト3を独占する形となったほか、柴原も不振で8月以降、1番のポジションを秋山に受け渡した。
また、松中がレギュラー出場を続け、初めての規定打席到達。打率はリーグ19位を記録し、本塁打はリーグ7位、更にOPSはパ・リーグ規定打席到達者中4番目の好記録を叩き出した。
2000年開幕戦
打順 |
守備 |
選手 |
打席 |
打率 |
本塁打 |
打点 |
盗塁 |
備考
|
1 |
右 |
秋山幸二 |
右 |
.262 |
5 |
48 |
2 |
打率リーグ23位
|
2 |
中 |
柴原洋 |
左 |
.310 |
7 |
52 |
10 |
打率リーグ8位、B9(外)、GG賞(外)
|
3 |
DH |
吉永幸一郎 |
左 |
.256 |
9 |
33 |
0 |
規定打席未到達
|
4 |
左 |
メルビン・ニエベス |
両 |
.216 |
15 |
38 |
1 |
規定打席未到達
|
5 |
三 |
小久保裕紀 |
右 |
.288 |
31 |
105 |
5 |
打率リーグ15位
|
6 |
捕 |
城島健司 |
右 |
.310 |
9 |
50 |
10 |
規定打席未到達、B9(捕)、GG賞(捕)
|
7 |
一 |
松中信彦 |
左 |
.312 |
33 |
106 |
0 |
打率リーグ6位、シーズンMVP、B9(一)
|
8 |
二 |
柳田聖人 |
右 |
.129 |
0 |
1 |
1 |
規定打席未到達
|
9 |
遊 |
井口忠仁 |
右 |
.247 |
7 |
23 |
5 |
規定打席未到達
|
2000年シーズンは開幕戦のスタメンには二塁手に柳田、遊撃手に井口が起用されたが、柳田の不振と浜名の故障により鳥越がレギュラーを奪取。更に井口が故障で離脱し、後半戦は本間満が台頭した。また、城島が打球を右手に受け骨折し春先から3ヶ月間戦線を離脱したが、代役として控え捕手の坊西浩嗣がしぶとい打撃で穴を埋め、城島復帰後も代打の切り札として活躍した。
日本シリーズでは二塁手に鳥越、遊撃手に井口が起用された。この年のチーム打率、本塁打数はパ・リーグ2位を記録するなど好調で、本塁打、打点でリーグ3位を記録するなど好成績を収めた松中がMVPを受賞した。
2004年
打順 |
守備 |
選手 |
打席 |
打率 |
本塁打 |
打点 |
盗塁 |
備考
|
1 |
中 |
柴原洋 |
左 |
.271 |
7 |
39 |
1 |
規定打席未到達
|
2 |
遊 |
川﨑宗則 |
左 |
.303 |
4 |
45 |
42 |
打率リーグ14位、盗塁王、最多安打、B9(遊)、GG賞(遊)
|
3 |
二 |
井口資仁 |
右 |
.333 |
24 |
89 |
18 |
打率リーグ4位、B9(二)、GG賞(二)
|
4 |
一 |
松中信彦 |
左 |
.358 |
44 |
120 |
2 |
三冠王、シーズンMVP、最多安打、B9(一)、GG賞(一)
|
5 |
捕 |
城島健司 |
右 |
.338 |
36 |
91 |
6 |
打率リーグ3位、B9(捕)、GG賞(捕)
|
6 |
左 |
ペドロ・バルデス |
左 |
.279 |
18 |
74 |
1 |
打率リーグ24位
|
7 |
指 |
フリオ・ズレータ |
右 |
.284 |
37 |
100 |
1 |
打率リーグ23位
|
8 |
右 |
宮地克彦 |
左 |
.310 |
3 |
24 |
1 |
規定打席未到達
|
9 |
三 |
本間満 |
左 |
.290 |
2 |
24 |
4 |
規定打席未到達
|
試合数減少[注 7]の影響もあり、リーグ総本塁打数は若干減少したもののリーグ平均打率.277と前年同様打高の年となったシーズン。リーグ平均打率が上昇した一方でダイエーは打率は.292と前年を下回った[注 8][3]ものの、本塁打数は前年を上回る183本塁打[注 9]を記録。
特に松中は1986年の落合博満以来となる三冠王に輝き、2度目のシーズンMVPも受賞した。ペナントレースはレギュラーシーズンは1位で通過したもののプレーオフで敗退し2位となった。また、この年のオフにバルデスが退団した。
脚注
注釈
- ^ 1球団で200本塁打以上を記録したのはパ・リーグでは1985年の近鉄バファローズ以来。
- ^ 一チームから4人が30本塁打以上を記録したのはパ・リーグ史上初。
- ^ 大阪近鉄と同率の2位。
- ^ プロ野球記録。
- ^ 一チームから6人の3割打者を輩出したのはプロ野球記録。
- ^ 一チームから4人が100打点以上を記録したのはプロ野球史上初。
- ^ 前年の140試合制から135試合制になり、更にストライキが行われたため1球団あたり133試合と前年に比べ1球団あたり7試合減少した。
- ^ 出塁率も.366と下回った
- ^ 長打率も.472と上回った
出典
|
---|
球団 | |
---|
本拠地 | |
---|
文化 | |
---|
マスコット | |
---|
球団歌・応援歌 | |
---|
日本一(11回) | |
---|
クライマックスシリーズ優勝(7回) | |
---|
リーグ優勝(22回) | |
---|
できごと | |
---|