タンデム翼機タンデム翼機(タンデムよくき、Tandem wing aircraft)とは固定翼機のうち、主翼を2枚(3枚以上の例も存在する)、機体の前後両方に備えた形態のものである。串型機(くしがたき)ともいう。前の翼も後の翼も共に揚力を担う。重航空機の揺籃期にはしばしば設計され、或いは実際に製作もされたが、ライト兄弟の時代以降ではほとんど見られない。殊に実用機においては希である。 タンデム翼を備えた機体としては、ライト兄弟に飛行機開発競争で敗れたサミュエル・ラングレーのエアロドロームのように、前後の主翼に加えてさらに尾翼を持つ機体も分類される。一方で常時揚力を発生するカナードを備えた機体(サーブ 37 ビゲンなど)は分類されない。 構造特徴
設計思想かつては以下のようなメリットがあると考えられた。
しかし実際には、
歴史未だ満足な動力飛行が達成されず、固定翼機の形態に定型が確立されていなかった20世紀初頭までは、タンデム翼機は(他の無数のタイプと比べて)特に珍しいものではなかった。例えば1830年代にはトーマス・ウォーカーがタンデム機を設計し、1870年代のD・S・ブラウンは模型をテストしている。 サミュエル・ラングレーはブラウンに影響を受け、1890年代にタンデム、というより複数翼列の動力つき大型模型機「エアロドローム」系列を製作。1896年には4号(蒸気機関を搭載)が数百メートルの飛行に成功。これは動力模型機としては世界初の長距離飛行であった。ラングレーは同年中に5号、6号でもキロメートル級の飛行に成功する。 しかし有人フルサイズ機の開発は難航し、「エアロドロームA」(52馬力のガソリンエンジンを搭載)が完成したのは1903年である。しかも同機は、10月7・8日に、歴史的な二度の離陸失敗を演じる。その直後、12月にライト兄弟が有人飛行に成功する。 ライトフライヤー号は実際にジャンプではない動力飛行をした、という点で重要だが、その前翼型は、挙動操作が非常に敏感で、コンピューターの無い時代では、安定性に問題があったと考えられている。実際にライト兄弟の後も他者により逐次的な改良が続き、第一次世界大戦頃には胴体中央に1葉~3葉の主翼を持ち小型の水平と垂直の尾翼を持つ、という構成が一般的となった。以後はジェット化による高速機に後退翼が導入された程度である。このような飛行機の発展の過程で、前翼式やプッシャー式などはいくつかの試みが見られるが、タンデム翼はそれらよりもマイナーな存在となった。 1990年代以降に設計された機体としては、バート・ルータン設計のQuickieシリーズ (en:Rutan Quickie, en:QAC Quickie Q2, Q200) やスケールド・コンポジッツ プロテウス、ホームビルト機のプー・ド・シェルなどがある。グライダーではジョン・ジョセフ・モンゴメリーの機体(1905年)が代表的である。 関連項目
参考文献
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