タマ・プロダクション
株式会社タマ・プロダクション(英: TAMA PRODUCTION CO.,LTD.)は、かつて存在した日本のアニメ制作会社。 概要1965年1月、少女漫画家出身のアニメーターの田中英二が作画スタジオのタマ・スタジオとして設立[2]。 1965年放送の『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』など、虫プロダクションを皮切りに主にテレビアニメの作画を担当[3]。1967年4月から放送の『マッハGoGoGo』から竜の子プロダクション作品に参加[4]。以後同社の作画下請けを中心として、タツノコ作品に欠かせない存在となった。少女漫画出身の田中の繊細な女性キャラクターには定評があり、特に毎回ゲストヒロインが登場した1969年の『紅三四郎』では全26話中、17本の作画を担当した[5]。タツノコが総作画監督システムを採用した作品でも、タマプロ担当回だけは修正が入らないという信頼関係を築いていた[6]。 1970年1月に株式会社化[7]。1970年代に入ると、仕上げスタッフを立ち上げ、仕上げ業務を行うようになる[要出典]。1971年の『正義を愛する者 月光仮面』からはナック(現・ICHI)の作品に参加[8]。実制作を担当した1974年放送のナック作品『チャージマン研!』は後年、2000年代半ばになってカルト作品として人気を博する[9]。 1982年に40代半ばで社長の田中英二が死去[2]。以後は田中の実弟の西城隆詞と水村十司がタマプロを代表するアニメーターとして活躍する[10]。社長職は田中英二の弟で西城の兄である田中道哉が引き継いだ[11]。 1989年頃からは撮影、制作スタッフを拡充し自社で行える環境を整えようになると、多数の作品でグロス請けを請け負えるほど成長した。中国のアニメ制作会社である常州金鈴美術制作有限公司とは資本提携を結ぶなど、新たな動きも見せる。同社は自社企画による劇場映画制作が中心であり、テレビシリーズの場合はグロス請けで参加する事が多かった[要出典]。 1990年代後半から2000年代前半頃にかけては、ディズニー作品やスティーヴン・スピルバーグの会社の作品など、アメリカ大手の合作の下請けが中心となる[10][12]。2007年時点では資本金1,200万円、従業員30名だったが[1]、2008年に活動を停止[要出典]。タツノコプロの社長を務めた成嶋弘毅はグループ・タックや東京キッズが倒産するアニメ不況の中で、かつて仲間だったタマプロの人もタクシードライバーやトラック運転手に転業したと2010年に記している[13]。2011年3月9日に、東京地方裁判所より破産手続開始決定を受け倒産した[14][15][16]。 「タマプロダクション」とクレジットされることもあった。 主な作品テレビアニメ
劇場アニメ
OVA
作画担当作品
関連人物関連項目出典
外部リンク |