セルヒオ・エスクデロ
セルヒオ・アリエル・エスクデロ(スペイン語: Sergio Ariel Escudero, 1964年2月10日 - )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。2007年に日本国籍を取得[1][2]。兄のオズバルド・エスクデロ、息子のエスクデロ競飛王、甥(オスバルドの息子)のダミアン・エスクデロもサッカー選手。 略歴選手時代アルゼンチン北部のコリエンテス州パソ・デ・ロス・リベレスで生まれ[3][1] [2]、7歳のときに移り住んだブエノスアイレスでバビーフットボール(6人制サッカー)を始め、9歳からチャカリタ・ジュニアーズの育成組織で育つ[1]。 1980年にチャカリタのトップチームに昇格[1]。当時のチャカリタは3部リーグ所属だったが、その後2部リーグ(プリメーラB)、1部リーグ(プリメーラ)へと昇格[1][4]。センターフォワードおよび左右ウイングとしてプレーした[1]。1987年にはレンタル移籍によりボリビアのザ・ストロンゲストに1シーズン在籍[4][3]、コパ・リベルタドーレスの出場権を獲得した[3]。翌シーズンはスペイン2部リーグのグラナダCFに移籍し、2シーズン在籍[3]。1990年、アルゼンチンのCAアトランタに移籍[4]。 浦和レッズでプレーしていた兄・オズバルドに誘われ[2]、1992年6月[5]に浦和レッズに加入した。しかし、サテライトで7試合出場[5]したもののトップリーグでは出場のないまま1993年1月[5]に引退した。 引退後引退後は当時浦和レッズの育成部門を兼ねていた浦和スポーツクラブのジュニアユースのコーチに就任し、1995年の高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会に優勝[2]。1997年から4年間アルゼンチンに帰り、S級ライセンスを取得[3]。1997年にはビーチサッカーのアルゼンチン代表としてプレーした[6]。 2001年に再来日し[2]、柏レイソル青梅のコーチを一年半務めた[2]。2003年より埼玉栄高等学校サッカー部のコーチを2年、総監督を8年務め[1]、その後はロクFCのコーチとして小中学生を指導[1]。2016年より兄のオズバルドが監督を務めるエルサルバドルのCD FASのコーチに就任し、初めてプロチームを指導した[6]。 個人成績
出典
関連項目外部リンク
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