セルゲイ・コルニレンコ
シャルヘイ・アリャクサンドラーヴィチ・カルニリェーンカ(ベラルーシ語: Сяргей Аляксандравіч Карніленка, ラテン文字転写: Syarhey Alyaksandravich Karnilenka, 1983年6月14日)は、ソビエト連邦(現ベラルーシ)・ヴィーツェプスク出身の元ベラルーシ代表サッカー選手。ポジションはFW。 ロシア語ではСергей Александрович Корниленко(セルゲイ・アレクサンドロヴィチ・コルニレンコ)となる。 クラブ経歴1983年、ソビエト連邦時代の白ロシア・ヴィーツェプスクで生まれ、2000年に地元のクラブFCロコモティフ-96・ヴィーツェプスクでキャリアをスタートさせた。2001年にFCディナモ・ミンスクへ移籍し、2003年にはリーグ戦で18得点を挙げ得点王に輝いた。 2004年、その活躍が認められてウクライナ・プレミアリーグの強豪FCディナモ・キーウに移籍するも、レギュラーを確保するには至らず1年でFCドニプロへ移籍した。 2008年8月、ロシア・プレミアリーグのFCトム・トムスクへ2年半の契約で移籍。2009年にシーズン途中でクラブを去る事になったが6得点を挙げ、同年のチーム最多得点者になった。2009年7月、FCゼニト・サンクトペテルブルクへ移籍金200万ドル[1]、4年半の契約で加入した[2]。パヴェル・ポグレブニャクやファティフ・テッケが負傷した際に出場したが結果を残すことが出来ず、2010年にトム・トムスクへ期限付き移籍で復帰。15試合に出場11得点を記録し、2010年8月にはFCルビン・カザンへレンタルとなった[3]。 2011年1月31日、スタンダール・リエージュからのオファーを断り[4]、移籍市場が閉まる直前にイングランド2部のブラックプールFCへローンで加入。2011年8月下旬、PFCクリリヤ・ソヴェトフ・サマーラへ完全移籍した[5]。9月11日、第23節の古巣トム・トムスク戦にスタメン出場。前半8分にパーヴェル・ヤーコヴレフからのクロスをヘディングで捉え、移籍後初の得点を決めた[6][7]。 2019年7月10日、現役を引退しミオドラグ・ボジョヴィッチ監督の下でアシスタントコーチに就任することが発表された[8]。12月8日のFCウラル戦の後半、判定に抗議し副審を小突いたためレッドカードを提示され退場[9]。3日後、執行猶予3試合を含む6試合のベンチ入り禁止及び10万ルーブルの罰金処分が科された[10]。2020年8月4日、クラブのスポーツディレクターに転任[11]。2021年2月27日、引退試合を開催するためシーズン終了までの契約で選手契約を締結した[12]。 代表歴ベラルーシ代表として各世代でプレー。2003年7月20日の国際親善試合・イラン戦で途中出場しフル代表デビュー、2-1の勝利で飾った。2012年に開催されたロンドン・オリンピックにオーバーエイジとして参加した。 タイトル
脚注
外部リンク
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