スルーオゴールド
スルーオゴールド (Slew o'Gold) は、アメリカ合衆国で競走馬、種牡馬として活躍した馬である。半兄に1979年のベルモントステークスなどを制したコースタル (Coastal) がいる。 略歴競走馬時代1982年(2歳)にアケダクト競馬場でのデビュー戦で初勝利を挙げ、その後は2戦して1勝している。 1983年(3歳)、この年4走目となったウッドメモリアルステークスを制し、G1初勝利を挙げたが、続くケンタッキーダービーは3着だった。ピーターパンステークス (G3) を12馬身差で圧勝して挑んだベルモントステークスでは、1番人気に支持されるが2着だった。その後G1を2走し、迎えたウッドワードステークスを鼻差で制し、G12勝目を挙げた。次走のマールボロカップハンデキャップこそ2着となるが、続くジョッキークラブゴールドカップを制しG13勝目を挙げ、この年のエクリプス賞3歳牡馬チャンピオンに選出された。 1984年(4歳)、7月にベルモントパーク競馬場での一般競走を制し、続くホイットニーハンデキャップ、ウッドワードステークス、マールボロカップハンデキャップ、ジョッキークラブゴールドカップとG1を4連勝、前年のジョッキークラブゴールドカップから6連勝を達成した。しかし、その後のブリーダーズカップ・クラシックではワイルドアゲインに敗れ連勝がストップし、この競走を最後に引退することになった。なお、この年はエクリプス賞古牡馬チャンピオンに選出された。 種牡馬時代1985年より種牡馬として繋養され、以後2002年(22歳)の引退まで種牡馬として活動した。 種牡馬引退後はスリーチムニーズファームで余生を送っていたが、2007年10月14日に老衰のため安楽死処分となった。 1992年にアメリカ競馬名誉の殿堂博物館の選定により、アメリカ競馬殿堂入りを果たした。また、1999年にはアメリカの競馬情報誌ブラッド・ホースの選定による20世紀のアメリカ名馬100選において、第58位に選ばれている。 主な産駒
母の父としての主な産駒
血統表
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