スタニスワフ・サモスチェルニクはコプシヴニツァ(Koprzywnica)のシトー会修道院長のクラクフ邸宅に住んでいたピョトル・サモスチェルニクとアンナ・サモスチェルニクの息子であった[6]。 彼の父は古ポーランド語での名前(samostrzelnik はラテン語 sagittator〈クロスボウ〉に由来する)から、おそらくクロスボウや弓の製造業者であった[7]。サモスチェルニクは必要な試験を通過した後、クラクフ近郊のモギワ(Mogiła; 当時はクラクフとは独立した町であったが、今日ではクラクフの都市部ノヴァ・フタNowa Huta である)のシトー会修道院入りした。修道院長の庇護により、彼はすぐに写本の彩色画家という修道院でも表舞台に立つ地位に進むことができた。彼に関して十分に裏付けが取れた最初の年代的な記録は1506年に出てくるが、それは彼が修道院のヴォールト(アーチ式天井)数基を装飾する仕事を引き受けたというものである。彼は pictor de Mogila、すなわちシトー会修道院の画家として言及された[8]。その時から彼は、モギワ修道院のラテン名であるクララ・トゥンバ(Clara Tumba;〈聖なる墓〉)に由来する新たな名前スタニスラウス・クララトゥンベンシス〈モギワのスタニスワフ〉を用いるようになった[9][注 1]。1511年に彼は修道院の外で暮らす権利を与えられ、サンドミエシュ(Sandomierz)の城代(英語版)[注 2]であり[2]、芸術のパトロンとしても知られていた[8]クシシュトフ・シドウォヴィェツキ(Krzysztof Szydłowiecki)のために働くべく、シドウォヴィェツキが所有する都市シドウォヴィェツ(Szydłowiec)に移った。スタニスワフ・サモスチェルニクは、シドウォヴィェツキ家の家系書(Liber Genesos illustris Familiae Shidlovicae)中の絢爛なミニアチュール絵画で最もよく知られている。スタニスワフは御用画家としてのこの仕事の過程でシドウォヴィェツキ家のための数多くの細々とした委託を受け、地方の教会や城の装飾を行った。また、1510年から1530年の間には城代の牧師も務めた。シドウォヴィェツキからは1513年にチミェルフ(Ćmielów)近郊グロホリツェ(Grocholice)の牧師館を与えられている[6]。1514年、彼はシドウォヴィェツキと共にオパトゥフ(Opatów)に移り、1532年にシドウォヴィェツキが亡くなった後はモギワに戻った。
^Andrzejewska, Halina (2006). Polish painting. Auriga. p. 19. ISBN83-922635-3-7. "The first Pole to consciously use the new style was Stanislaw Samostrzelnik.〈意識的にこの新しい様式を用いた最初のポーランド人はスタニスワフ・サモスチェルニクであった。〉"
^“Zabytki” (ポーランド語). Klasztor i Bazylika Franciszkanów św. Franciszka z Asyżu Klasztor i Bazylika Franciszkanów św. Franciszka z Asyżu. 7 July 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。20 January 2012閲覧。
^ abEvans, Joan; Nugent, Christopher; Brooke, Lawrence, eds (1985). The Flowering of the Middle Ages. Bonanza Books. p. 59. "At that time he is referred to as religiosus Stanislaus pictor de Mogila.〈当時、彼は「モギラの宗教画家スタニスラウス」として言及されている。〉"
^Pollard, Graham; Hunt, Richard William; Philip, Ian Gilbert; Roberts, Richard Julian (1975). Studies in the book trade: in honour of Graham Pollard. Oxford Bibliographical Society. p. 320. ISBN83-227-1925-6. "Though now known to be illuminated by the Polish Cistercian painter Stanislas of Mogila (Stanislaus Claratumbensis).〈現在はポーランド・シトー派の画家モギラのスタニスラス(スタニスラウス・クララトゥンベンシス)により装飾されたことで知られるようになるが。〉"
^ abElżbieta Sobol, ed (1994). Mały słownik języka polskiego (11 ed.). Warszawa: Wydawnictwo Naukowe PWN. ISBN83-01-11052-X