スシル・コイララ
スシル・コイララ(ネパール語: सुशील कोइराला、Sushil Koirala、1939年8月12日 - 2016年2月9日)は、ネパールの政治家。2014年から2015年まで、ネパールの首相を務めた。また、2010年から2016年に重い肺炎で亡くなるまでの間、ネパール会議派の総裁も務めた。 コイララは2014年2月9日に議会によりネパールの首相に選ばれた[1]。また、1952年に議会に加わり、様々な役職を経て2010年に総裁となった[2]。 生い立ちコイララは、Prasad KoiralaとKuminidi Koiralaの間に、ネパールで2番目に大きなビラートナガルの街で生まれた[2]。コイララは妻を持たず、簡素な生活を送ったことで知られた[3]。政治家一族であるコイララ家の一員として、いずれも元首相のマートリカ・プラサード・コイララ、ギリジャー・プラサード・コイララ、ビシュエシュワル・プラサード・コイララは従兄に当たる[4]。 ヘビースモーカーであり、2006年に舌癌、2014年6月に肺癌を患った[5]。そして2016年2月10日12時50分にカトマンズで肺炎のため76歳で死去した[6]。彼の義妹によると、コイララはインドで正式に大学教育を受けたと言うことだが、彼自身は常に自身は非公式な教育しか受けていないと述べていた。 政治家としてコイララは、ネパール会議派の社会民主主義的な考え方に共鳴して、1954年に政治の道に入ったが、1960年に政権が変わって以来、16年間インドに政治亡命した。また、1973年にはハイジャック事件に加わったとして3年間インドの刑務所に収監された[7]。亡命中、彼は党の公式機関紙であるTarunの編集を務めた。彼は1979年から党の中央労働委員会のメンバーとなり、1996年に事務局長、1998年に副総裁に指名された[2]。 2001年、彼はシェール・バハドゥル・デウバに総裁選で敗れ、2008年にはギリジャー・プラサード・コイララにより総裁代理に指名された。2010年9月22日のネパール会議派の第12回党大会で、彼は総裁に選出された[7]。 2013年のネパール制憲議会選挙で、ネパール会議派は第一党となった。彼は議長選挙で194票中105票を集めて前首相のデウバを破り、2014年2月10日に首相に指名された[8][9]。彼の首相在任期間中、政府は2015年ネパール地震への対応の遅れを批判された[10]。この年に歴史的な4大政党の合意も成立し、それは新憲法制定に道を開くものとなった[11]。新憲法発効に伴い、コイララは2015年10月10日に首相を辞任した[12]。彼は再選を目指したが、かつての連立相手であったネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派のK.P.シャルマ・オリに敗れた[13]。 出典
外部リンク
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