ジル・パニッツィ
ジル・パニッツィ(Gilles Panizzi、1965年9月19日 - )は、フランス出身の世界ラリー選手権 (WRC) のドライバー。モナコ在住で、自宅の前がラリー・モンテカルロのコースのひとつとなっている。既婚、娘がいる[2]。 ターマックラリーを得意としており[1]、ターマックキング[3]の異名通り優勝した7戦全てがターマックラリーである。コ・ドライバーは2006年まで実弟のエルベ・パニッツィが務め、兄弟コンビとしても広く知られていた。ターマックラリーでの強さと後述の人柄のユニークさから日本でのファンも多い。 経歴1987年にラリーデビュー[1]。1990年からWRCに参戦をはじめ[1]、2000年のプジョー移籍直後にフランス大会(ツール・ド・コルス)でWRC初優勝。フランス人ラリードライバーの例に漏れず、パニッツィもターマックで目覚しい活躍を見せ、プジョーでは主にターマック戦でのスペシャリストとして活躍し、特に2002年は凍結路のラリー・モンテカルロを除くターマックラリー3戦(コルシカ・サンレモ・カタルニア)全てで勝利を収めた。特に2002年カタルニアではトップ快走中の終盤のSSで、観客が集まっている前で360度のドーナツターンを披露した上で優勝するという離れ業をやってのけた。 2004年シーズンに先立ち、ドライバー起用に関わるレギュレーションの変更からプジョーがターマック専門ドライバーを採用しない方針にシフトしたため、グラベルラリーも含めたワークス・チームからの参戦機会を求めて三菱自動車へ移籍。三菱ではパニッツィの仇敵であったフランソワ・デルクール(後述)と入れ替わるようにエースドライバーとしてマシン開発などを担当した。しかしながら、同年に三菱自動車が三菱リコール隠しやダイムラー・クライスラーとの資本関係打ち切りなどの理由から経営不振に陥ったため、パニッツィ得意のターマックラリーが行われる直前の8月に三菱はWRC参戦の一時休止を発表。2005年の世界ラリー選手権終了後三菱がWRCワークス活動からの撤退を発表したため、パニッツィの三菱での経歴は不本意なものとなってしまった。 2006年シーズンは元WRCドライバーのアルミン・シュヴァルツがチームリーダーを務めるレッドブル・シュコダからターマックラリーを中心に数戦に参戦する予定であったが、カタルニアラリー終了後にツール・ド・コルスには参戦せずレッドブル・シュコダから離脱。この際パニッツィは、理由として開発環境およびテストスケジュールの不足を挙げ、「シュコダ入りは誤った選択だった」とまで述べた。この直後、コ・ドライバーを長年務めた実弟エルベはコンビをごく短期間だったが解消し、シーズン終了後に現役を引退している。現在はプジョーのテストドライバーとしてプジョー・207S2000の開発に参加。2007年から開始したインターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ(IRC)第7戦ラリー・サンレモに同車両で参戦している。 記録![]()
WRC脚注
外部リンク
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