ジョージ・ヤング (ミュージシャン)ジョージ・ヤング(George Young)ことアルフレッド・レッドバーン・ヤング(Alfred Redburn Young、1947年11月6日 - 2017年10月23日[1]) は、スコットランド出身のオーストラリアのロック・ミュージシャン、ソングライター、音楽プロデューサーである。1960年代に活躍したオーストラリアのバンド、イージービーツ(The Easybeats)のメンバーであり、世界各国でヒットした「Friday On My Mind」や「Love is in the Air」の共作者のひとりである。また、実弟であるマルコム・ヤングとアンガス・ヤングをフィーチャーしたハード・ロック・バンドAC/DCのプロデューサーとしても知られている。 経歴ジョージ・ヤングは、スコットランド最大の都市グラスゴーの東郊クランヒル(Cranhill)で生まれた。父の名はウィリアム・ヤング(William Young)、母の名はマーガレット(Margaret)といい、母の旧姓もヤング(Young)であった。1963年に、一家はオーストラリアへ移住した。このとき、長兄のアレックスだけはスコットランドに残り、後にGrapefruitというバンドのメンバーとなった。 やがて、シドニーで高校(Sefton High School)在学中に音楽活動を始めたヤングは、イージービーツのリズムギターとして、1960年代に最初の国際的な成功を手にした。ジョージは、初めのうちはヴォーカルのスティーヴィー・ライト(Stevie Wright)と、後にはリードギターのハリー・ヴァンダ(Harry Vanda)と曲作りに取り組み、イージービーツのほとんどの曲の共作者となった。 1970年にイージービーツが事実上解散した後、ヴァンダとジョージは、ポップ系やロック系の楽曲を他のアーティストたちに提供することに注力し、また、Vanda & Young、Flash and the Panなど様々な名儀で活動した。そのような、スタジオでのレコーディングのみで実演をほとんどしないグループのひとつが、ヴァンダとジョージに、ジョージの弟たちマルコムとアンガスを加えたMarcus Hook Roll Bandという名のバンドであった。 ヴァンダとジョージは、AC/DCの『ハイ・ヴォルテージ』や『パワーエイジ』など初期のアルバムを共同でプロデュースした。ジョージはまた、AC/DCの初期にはステージに助っ人で上がることもあり、デビュー・アルバムの『ハイ・ヴォルテージ』では、ベーシストとしてクレジットされている。また、2000年にAC/DCのアルバム『スティッフ・アッパー・リップ』を単独でプロデュースしている。 2017年10月22日、70歳で死去[2]。翌月には、弟のマルコム(AC/DC)も亡くなっている[3]。 ヴァンダとヤングがプロデュースしたおもなアーティストヴァンダとヤングが共作したおもな曲
脚注
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