ジョージ・ゴードン (第5代ゴードン公爵)第5代ゴードン公爵ジョージ・ダンカン・ゴードン(英: George Duncan Gordon, 5th Duke of Gordon, GCB, PC、1770年2月2日 - 1836年5月28日)は、イギリス・スコットランドの政治家、陸軍軍人、貴族。 爵位を継承する1827年まではハントリー侯爵の儀礼称号を使用した。 経歴1770年2月2日、第4代ゴードン公爵アレグザンダー・ゴードンと妻ジェーンの長男としてエジンバラに生まれる[1] ケンブリッジ大学聖ジョン・カレッジへ進学した[1]。1791年にマスター・オブ・アーツの学位を取得した[2]。 陸軍に入隊し、第35歩兵連隊、第42王立ハイランド歩兵連隊(後のブラック・ウォッチ)、第3近衛歩兵連隊などに所属する[1]。1794には第100(ゴードンハイランド)歩兵連隊(100th (Gordon Highland) Regiment of Foot)[注釈 1]を設立した[3][4]。 フランス革命戦争ではヨーク公フレデリック率いる大陸出征軍に従軍した。1801年に少将、1808年に中将に昇進。1809年のワルヘレン作戦には第2代チャタム伯爵ジョン・ピット率いる遠征軍に師団長として参加した[1]。 1806年から1807年にかけてはアイ選挙区から選出されてトーリー党所属の庶民院議員となる[2]。1807年4月11日にはいまだ父が存命ながら繰上勅書により、ハントリーのゴードン男爵位を継承し、貴族院議員となった。政治家としてはきわめて保守的な人物だった[1]。 1819年に大将に昇進した[2]。1827年6月17日に父が死去し、第5代ゴードン公爵位を継承した[1]。爵位継承後、スコットランド国璽尚書に任命された[1]。1830年には枢密顧問官に列する[2]。 フリーメイソンのスコットランド・グランドロッジ・グランドマスターも務めた[1]。 1836年5月28日に死去。彼は結婚しておらず、嫡出子がなかった。ゴードン公爵位を継承できる親族もなかったので彼の死とともにゴードン公爵は消滅した。一方ハントリー侯爵位は親族のジョージ・ゴードンに継承された[1]。 財産は姉シャーロットに継承され、結果シャーロットの嫁ぎ先のリッチモンド公爵レノックス家に相続された。これを機にレノックス家はゴードン=レノックス家と改姓している。そして1876年には第6代リッチモンド公爵チャールズ・ゴードン=レノックスにゴードン公爵位が与えられている[5]。 栄典爵位
勲章脚注注釈
出典参考文献
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia