ジョン・リーチ (イラストレーター)
ジョン・リーチ(John Leech、1817年8月29日 - 1864年10月29日)は、イギリスの風刺画家、イラストレーターである[1]。週刊風刺漫画雑誌『パンチ』に掲載した風刺漫画の作者として知られている。チャールズ・ディケンズの1843年の小説『クリスマス・キャロル』の初版の挿絵を担当したことでも知られている[2]。 略歴ロンドンで生まれた。父親はアイルランド出身の彼の父親は、ロンドン中心のラドゲイト・ヒルのコーヒーハウスのオーナーで、文学や芸術に造詣の深い人物で、母親の祖父には古典学者のリチャード・ベントリー(Richard Bentley)がいた。父親から絵を学び幼いころから才能を示した。名門校のチャーターハウス・スクールで学び、そこで有名な小説家になるウィリアム・メイクピース・サッカレー(1811-1863)と出会い生涯の友人になった。16歳でセント・バーソロミュー病院で医学を学び始めるが、2年ほどで美術家となるために医学の修行を止めた。「Blicky」というペンネームをこの頃使い始めた。 18歳で『Etchings and Sketchings by A. Pen, Esq.』を出版した。チャールズ・ディケンズの小説の挿絵を描いたロバート・シーモア(Robert Seymour (1798 – 20 April 1836) が1836年に亡くなった後、ディケンズズの『ピクウィック・クラブ(The Pickwick Papers)』の挿絵画家に応募したが採用されなかった[3]。1840年、ロンドンの文芸雑誌「Bentley's Miscellany」に版画を寄稿し始めた。 1841年から週刊風刺雑誌『パンチ』の仕事を行い、その年鑑や出版物にも貢献し、1859年から1862年の間「イラストレイテド・ロンドン・ニュース」にも、挿絵を描いた。1843年に出版されたチャールズ・ディケンズの小説『クリスマス・キャロル』の初版の挿絵も描いた。 1862年に、パンチに掲載した作品を拡大して、描きなおし着色した作品を展示する展覧会を開き、評判になった。 1864年にロンドンで亡くなった。 作品
脚注
参考文献
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