1972年に出版した著書『Pure, White and Deadly』(邦題:『純白, この恐ろしきもの―砂糖の問題点』)で国際的な評判を獲得し、1986年には本書の改訂版を発表した。砂糖の危険性については、ユドキンは少なくとも1957年から主張しており[2][3]「砂糖は虫歯、肥満、糖尿病、心臓発作を惹き起こす直接の原因である」と断じている[4]。『This Slimming Business』(1958年)を初めとする著書を出しており、体重を減らしたい人に対して炭水化物の摂取を制限する食事法を勧めた。
ユドキンは症例対照研究の設計(Case Control Designs)において交絡因子(Confounding Factors)の可能性を組み込まなかったことで、強い批判に晒された。心血管疾患(Cardiovascular Disease)に影響を与える可能性がある他の危険因子が考慮されておらず、すぐに心血管疾患における危険因子である喫煙が砂糖の摂取と関連しているというデータが得られ、砂糖の摂取ではなく喫煙によって心血管疾患のリスクが説明されることが示された[5]。
1938年に医学研究を修了したユドキンは、クライスツ・カレッジの医学研究部長に任命された。同年、ケンブリッジにあるダン栄養研究所(The Dunn Nutritional Laboratory)にて、食事におけるビタミンの効果についての研究を始めた。ケンブリッジで暮らす就学児童たちの栄養状態についてのユドキンの研究は、ビタミン補給が彼らの身体全体の健康状態に対してまるで効果を示さなかった、という結果になった[12]。また、ケンブリッジでの貧困地域に住む子供たちは、富裕層の子供たちと比べて、身長が低く、体重は軽く、血色素(Hemoglobin)の濃度は低く、握力が弱いことも偶然判明した。さらに、スコットランドにある3つの工業都市に住む子供たちは、ケンブリッジに住む平均的な子供たちに比べて、これら4つの要素の測定値が弱かった。また、スコットランドにある市街に住む貧困層の子供たちは、富裕層の子供たちに比べて、これらの測定値が劣っていた[13]。これらの発見は、栄養の摂取は生物学のみならず、社会的・経済的な構成要素や関わりがある、ということをユドキンに確信させるのに役立った可能性がある。1942年、ユドキンはタイムズ紙(『The Times』)に記事を寄稿し(当時の慣習として、匿名で公開された)、イギリスには食糧省、保健省、医学研究評議会、食糧政策内閣諮問委員会といった、何らかの形で栄養に関係する組織が多数ある旨を指摘した。栄養についての統一計画の策定に責任を負う単一の組織体は無く、食糧政策を監督する栄養諮問委員会が必要であった[14]。
だが、ユドキンの提言が聞き入れられることは無かった。
第二次世界大戦中のユドキンは、王立陸軍医療部隊に従軍し、シエラレオネに配属となった。ユドキンは、ここにいた兵士たちの間で蔓延していた皮膚病について研究し、これは感染によるものではなく、リボフラヴィン(Riboflavin, 水溶性ビタミンの一種)の欠乏が原因であることを発見した[15]。大英帝国が植民地にしていた西アフリカの国々(ガンビア、シエラレオネ、ゴールドコースト、ナイジェリア)にて、陸軍が兵士たちに提供していた食事は均一なものである点にも気付いた。理論上は、その食事はキビのような雑穀由来のリボフラヴィンを含み、栄養不足は起こらないように見えた。しかし、キビはゴールドコーストやナイジェリアにおける主食であるにもかかわらず、シエラレオネの兵士たちはこれを忌み嫌っており、彼らはたとえ空腹であったとしてもこれを食べようとはしないことが判明した[16]。この時の経験は、ヒトが食べ物を選ぶ際の習慣と育成の重要性をユドキンに痛感させた可能性がある。1945年、ユドキンはクイーン・エリザベス大学(当時は『The King's College of Household and Social Science』という名称であった)の生理学部の学部長に選任された。その後の数年間で、ユドキンによる指導の下、ロンドン大学は栄養学における理学士号を確立した[1]。学生たちは、化学、物理学、生物学、人口統計学、社会学、経済学、心理学を統合した一連の課程を履修した。1953年に最初の学生が入学し、その翌年の1954年に栄養学部が正式に開設され、ユドキンはその栄養学部の教授に就任した。その後の数年間、栄養学部は、対象となるものの生理学的・生化学的側面における学術研究の強みとなるものだけでなく、高齢者の栄養摂取、特定の集団における食品調査、「どの食べ物を選ぶか」の心理学、これらの主題で国際的な評判を獲得した。栄養学部は国外、とくに発展途上国からやって来た留学生たちを受け入れた。
栄養学の教授となったユドキンは、生化学に加えて、適応酵素のさらなる研究[17][18]、栄養と公衆衛生(Public Health)[19]、裕福病(Diseases of Affluence)[20][21]、ヒトと[22][23]動物実験[24]の両方で見られる食べ物の選択、人類の食生活の歴史的側面[25][26]、これらに関心の幅を広げていった。
1972年に出版した『Pure, White, and Deadly』は、一般の読者に向けて書かれたものであった。その主張は「砂糖は冠状動脈血栓症、肥満、虫歯、糖尿病、肝臓病、痛風、消化不良、癌に関与している」というものであり、ユドキンによる研究や、他の生化学研究、疫学研究に基づいている。アメリカ合衆国では『Sweet and Dangerous』という題名で出版され、ドイツ語、イタリア語、スウェーデン語、フィンランド語、ハンガリー語、日本語にも翻訳された。1986年には、本書の改訂版が出版された。
ユドキンはこの本の第一章を以下の結びの言葉で終えている。
「I hope that when you have read this book I shall have convinced you that sugar is really dangerous.」(「この本を読み終えたとき、読者の皆さんの中で『砂糖は間違いなく危険である』との確信が強まりますように」)
2009年、カリフォルニア大学の神経内分泌学者、ロバート・ラスティグ(Robert Lustig)は、『Sugar: The Bitter Truth』(『砂糖:受け入れがたい真実』)と題した講演を行った。これはカリフォルニア大学が動画として納め、公開している[7]。ラスティグは同僚とともに、ユドキンによる主張とは別に、砂糖は体に有害且つ深刻な影響を及ぼすことを発見し、この講演の中でユドキンによる研究に言及し、嘆賞した。ラスティグによるこの講演はユドキンの再来に貢献した[10]。
最初の登場から40年経過した2012年、『Pure, White and Deadly』は、ラスティグによる序文とともに再び刊行され、これはドイツ語と韓国語に翻訳された。ユドキンの研究に関する記事や、食品業界によるユドキンへの妨害や名誉棄損の目論見は、一般紙[8][37][38] や、イギリス、オーストラリア、カナダのテレビ番組でも取り上げられた。
晩年と死
ユドキンは1971年に教授を退職し、その後、研究論文や著書の執筆を続けた。1976年に発表した『This Nutrition Business』はスペイン語に翻訳された。1977年に『A–Z of Slimming』、1982年に『Eat Well, Slim Well』、1985年に『The Penguin Encyclopedia of Nutrition』(のちにフランス語に翻訳)、1990年には『The Sensible Person's Guide to Weight Control』を発表した。一般の雑誌にも記事を寄稿し続けたユドキンは、その名をよく知られるようになった。
また、ユドキンはイスラエルに対して長きに亘って関心の目を向けてきた。1948年のイスラエル建国宣言からまもなく、ユドキンはイスラエルが国家として直面した栄養問題についての助言を求められた。ユドキンはヘブライ大学(Hebrew University of Jerusalem)の理事でもあった。医学、栄養、料理法を専門とする古書も収集した。
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