ジョン・マレー (第3代アソル公爵)
第3代アソル公爵ジョン・マレー(英語: John Murray, 3rd Duke of Atholl, KT, PC、1729年5月6日 – 1774年11月5日)は、イギリスの貴族、政治家、陸軍軍人。 経歴1729年5月6日にジャコバイトの将軍ジョン・マレー卿(初代アソル公爵ジョン・マレーの六男)とその妻アメリアの間の長男として生まれる[1]。 陸軍に入隊し、第54ハイランド歩兵連隊の大尉まで昇進した[2]。1761年から1764年にかけてパースシャー選挙区から選出されてトーリー党所属の庶民院議員を務める[3]。 1753年には伯父の第2代アソル公爵ジェイムズ・マレーの娘シャーロット(従兄妹)と結婚[3]。1764年1月8日に伯父第2代アソル公爵が男子なく死去。もっとも血縁が近い彼が第3代アソル公爵位を継承したが、彼の父はジャコバイトに与した大逆罪により公爵位継承資格を剥奪されていたため、継承に疑問が呈された。彼は国王に嘆願書を提出し、それは国王から貴族院に提出され、貴族院での審議の結果、1764年2月7日に正当な継承権者と認められた[2][3]。また妻シャーロットも父の2代公が所有していたイングランド貴族爵位ストレンジ男爵位とマン島領主の称号「マン島領主」(Lord of Mann)の継承を認められた[2]。マン島領主の称号は彼も妻とともに帯びたが、翌1765年に英国王室に売却し、以降は英国王が帯びることになった[4] 1766年から1774年までスコットランド貴族の貴族代表議員に選出されて貴族院に議席を保有した[3]。死亡した第18代サザーランド伯爵ウィリアム・サザーランドの後任としての選出だった[2]。 1773年から1774年にかけてスコットランド・グランドロッジ・グランドマスターを務めた[3][5]。。 1774年11月5日に死去した[3]。爵位は長男のジョン・マレーが継承した[3]。 栄典爵位
勲章家族伯父の第2代アソル公爵ジェイムズ・マレーの娘シャーロットと結婚し、彼女との間に9子を儲けた[3]。
出典
参考文献
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