ジョン・ダンスタブルジョン・ダンスタブル(John Dunstable またはDunstaple[1][2]、1390年頃 - 1453年12月24日)は、中世からルネサンス期に活躍したイングランドの作曲家である。その生涯についてはほとんどわかっていない。中世西洋音楽からルネサンス音楽の移行期に重要な役割をした。 イングランドのベッドフォードシャー州ダンスタブル(Dunstable)で生まれたといわれている[3]。音楽家としてだけでなく、数学者、天文学者、占星術師であったといわれる[4][5]。ノルマンディー知事であるベッドフォード公爵ジョンに仕えた。百年戦争の休戦時にフランスに滞在し、イングランド独自の3度・6度を用いた和声法フォーブルドンをヨーロッパ大陸に伝えるとともに、逆に大陸の音楽をイングランドに伝えた。ダンスタブルによって大陸に伝わった新しい和声法は、大陸の音楽に取り入れられることでポリフォニーに発展し、ルネサンス音楽開始のきっかけとなった。 死去した1453年は、コンスタンティノープルが陥落し、中世の終わりであるといわれ、その年のクリスマスイブに他界したことは象徴的である[注 1]。聖ステファン・ウォルブルック教会に墓碑があり、埋葬されている[4][5][7]。 ルネサンス音楽は、ダンスタブルの影響をうけたデュファイによりブルゴーニュ楽派へと発展していく。 ダンスタブルはミサ曲やモテットを多く書いたが、その大部分は大陸側で発見されている。モテットとしては「Veni sancte spiritus」が有名である[注 2]。当時のイギリスの作曲家としては、他にリオネル・パワー(Leonel Power)などがおり、誰が作曲したのかはっきりしていない作品も多く、ダンスタブルの作品の正確な数をあげることはできない。 主要曲モテット
シャンソン
なお、正確な作曲年代が伝わっている作品は皆無であり、作曲の経過や背景なども推測に過ぎない作品ばかりである。 脚注注釈
出典
外部リンク
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