ジョン・オリヴァ
ジョン・オリヴァ(Jon Oliva、1960年7月22日[1] - )は、アメリカのボーカリスト、キーボーディスト(一部の作品ではギター、ベース、ドラムスも演奏)。ヘヴィメタルの分野で活動し、サヴァタージやジョン・オリヴァズ・ペインの中心人物かつリード・ボーカリストとして知られる。 来歴ニューヨークのブロンクス区で誕生。オリヴァ一家はその後カリフォルニア州に移り、1976年にはフロリダ州に移った[1]。1977年から1978年にかけて、メトロポリスというバンドでギターとキーボードを担当し[1][2]、1978年にはメトロポリスのメンバーとして初のレコーディングを経験した[1]。 その後、ジョンは実弟のクリス・オリヴァ等と共に、サヴァタージの前身バンドであるアヴァターを結成。なお、ジョンはごく初期のアヴァターではドラムスを叩きながら歌っており、その後ベースを弾きながら歌っていた時期もあったが[1]、最終的にはスティーヴ・ワコルズ(ドラム)とキース・コリンズ(ベース)が加入してラインナップが固まる。そして、アヴァターはインディーズのPer Recordsからアルバムをリリースすることになるが、同名のバンドの存在が判明したため、サヴァタージと改名。サヴァタージは1983年にデビュー・アルバム『サイレンズ』を発表した。 アルバム『エッジ・オブ・ソーンズ』(1993年)では、新たにザッカリー・スティーヴンスをサヴァタージのリード・ボーカリストとして起用し、ジョンはプロデュース、作詞・作曲、キーボード演奏で参加した。以後、サヴァタージはアルバム『ウェイク・オブ・マゼラン』(1997年)までザッカリー・スティーヴンスがリード・ボーカルを担当する形となる(ただし、一部の楽曲ではジョンがボーカルを担当)。また、クリス・キャファリー(サヴァタージのセカンド・ギタリスト)やドラマーのジョン・オズボーンと共にドクター・ブッチャーというサイド・プロジェクトを立ち上げる。 1993年10月17日、実弟でありサヴァタージでの盟友でもあるクリス・オリヴァが交通事故で死去。ジョンは大きなショックを受けるが、クリスの思い出を生かし続けるためにも、サヴァタージを存続させることを決意した[3]。1994年には、ドクター・ブッチャー名義のアルバム『ドクター・ブッチャー』を発表、ジョンは同作でボーカル、キーボード、ベースを担当している[4]。 サヴァタージのアルバム『ハンドフル・オブ・レイン』(1994年)のレコーディングはジョン、アレックス・スコルニック、ザッカリー・スティーヴンスの3人だけで行われ、ジョンはキーボードだけでなくリズムギター、ベース、ドラムスも演奏した[5]。 1996年からは、サヴァタージの多くの作品を手がけてきたプロデューサー、ポール・オニールを中心としたトランス・シベリアン・オーケストラにも参加する。2000年にザッカリー・スティーヴンスがサヴァタージを脱退すると、再びジョンがサヴァタージのリード・ボーカリストとなり、アルバム『ポエッツ・アンド・マッドメン』(2001年)は、サヴァタージのアルバムとしては10年振りに、ジョンが全面的に歌った。 2003年にはジョン・オリヴァズ・ペインを結成して、ジョンはリード・ボーカル、キーボード、ギターを担当。ジョン・オリヴァズ・ペインは2004年にファースト・アルバム『タージ・マハール』を発表した。その後のジョンは、ジョン・オリヴァズ・ペインおよびトランス・シベリアン・オーケストラとしての活動を中心としている。 ディスコグラフィサヴァタージ→「サヴァタージ § ディスコグラフィ」を参照
ドクター・ブッチャー
トランス・シベリアン・オーケストラ
ジョン・オリヴァズ・ペイン
ゲスト参加作品
脚注
外部リンク |
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