ジョン・アースキン (第26代マー伯爵)第26代マー伯爵[注釈 1]および第11代ケリー伯爵ジョン・フランシス・ミラー・アースキン(英語: John Francis Miller Erskine, 26th Earl of Mar, 11th Earl of Kellie、1795年12月28日 – 1866年6月19日)は、スコットランド貴族。1825年から1828年までアースキン卿の儀礼称号を使用した。 生涯第25代マー伯爵ジョン・トマス・アースキンとジャネット・ミラー(Janet Miller、1825年8月25日没、パトリック・ミラーの娘)の息子として、1795年12月28日に生まれた[3]。 長年イギリス陸軍に従軍し、1815年のカトル・ブラの戦いとワーテルローの戦いに参戦した[3]。 1827年4月24日、フィラデルフィア・ステュアート・ステュアート=メンテス(Philadelphia Stuart Stuart-Menteth、1853年2月15日没、初代準男爵サー・チャールズ・グランヴィル・ステュアート=メンデスの娘)と結婚した[3]。 1828年9月20日に父が死去すると、マー伯爵の爵位を継承した[3]。さらに1829年12月3日に遠戚の第10代ケリー伯爵メスヴェン・アースキンが死去すると[4]、ケリー伯爵の爵位を継承、1835年9月3日に正式に確認された[3][2](第11代ケリー伯爵は初代ケリー伯爵トマス・アースキンの父アレクサンダーの兄弟にあたる第18代マー伯爵ジョン・アースキンの男系子孫にあたる[2])。 1866年6月19日に71歳で死去した[3]。死後、遺産とケリー伯爵の爵位はウォルター・コニングスビー・アースキンが継承したが、マー伯爵の爵位はウォルター・コニングスビーと第26代マー伯爵の姉妹フランシス・ジェマイマの息子ジョン・フランシス・アースキン・グッドイヴの2人が継承権を主張し、貴族院は1875年にウォルター・コニングスビーが継承するとの裁定を下したが、1885年に「マー伯爵位返還法」(Earldom of Mar Restitution Art)が可決され、ウォルター・コニングスビーは1565年創設のマー伯爵を、グッドイヴは中世以来のマー伯爵を継承することで決着した[1]。 注釈出典
|
Portal di Ensiklopedia Dunia