ジョルジュ・デュアメル (Georges Duhamel 、1884年 6月30日 - 1966年 4月13日 )は、フランス のユマニスム の医師 、作家 、詩人 。アカデミー・フランセーズ 会員。代表作に『パスキエ家の記録』、『サラヴァンの生涯と冒険』などがある。1918年ゴンクール賞 のほか、芸術文化勲章 コマンドゥール、レジオンドヌール勲章 グランクロワを受けた。
経歴
パリ13区 に生まれ、移り気な父のため、幼少期に転居を繰り返しながら、12歳の頃から詩作し、1900年には小説も書いた。1901年、大学入学資格試験 を通過し、1902年医学大学へ進んだ。
1902年頃、シャルル・ヴィルドラック 、ルネ・アルコス らの若手作家を知った。しばしば近隣諸国に遊ぶ一方、学資稼ぎもした。
1906年秋からの14ヶ月間、ヴィルドラック、アルコスほかの詩人・作家・画家・音楽家・印刷工らと、パリ 南東クレテイユ の古家を改造した「クレテイユの僧院(Abbaye de Créteil )」に籠もって、出版で自活しようとする理想主義 的文学共同生活を営み、ジュール・ロマン も参加した。『アベイ派』と呼ばれた。1907年、詩集『伝説、戦闘』を『僧院』から出版した。アベイ派仲間との交流は、その後も続いた。
1909年、卒業して医学博士となり、製薬の研究所に勤務し、また、文芸雑誌『メルキュール・ド・フランス 』の詩歌批評欄を担当した。この年、女優ブランシュ・アルバーヌ (フランス語版 ) と結婚した。
1914年からの第一次世界大戦 には、志願して野戦外科医となり、約4年間に数千件の手当をした。その体験を、1917年の『殉難者の記録』と1918年の『文明』とに纏め、後者によりゴンクール賞 を得た。その後、機械文明や 画一主義よりはユマニスム の寛容を尊ぶべし、とする文筆活動を続けた。
1927年のソヴィエト 旅行、1929年のアメリカ 旅行の見聞を、『モスクワの旅』と『未来生活情景』とに纏め、前者の画一主義と後者の機械主義文明を批判した。
1935年から1938年まで、『メルキュール・ド・フランス』の主筆を勤めた。
1935年10月、『人民戦線 賛成』の署名を拒否した [要出典 ] 。11月、アカデミー・フランセーズ の会員に選ばれた。風雲急なヨーロッパ 各国で、技術的発展にでなく人間の心に基づく文明を説いた。
ナチス 占領期の1941年、ルイ・アラゴン らに共産党 の対独レジスタンス ・グループ国民戦線 (フランス語版 ) の一派として結成された全国作家委員会 (フランス語版 ) (CNE) の入会を要請されたが応じなかった。1942年、ドイツ 占領軍に全著作の発売禁止処分を受けた[ 1] 。
1944年、パリ解放 後、漸く全国作家委員会に入会したが、対独協力作家のブラックリスト を『レットル・フランセーズ 』紙に掲載するなどの過度のエピュラシオン に反対し、1946年脱会した[ 1] 。
1950年、左翼のルイ・アラゴン と論争し、彼に非難された [要出典 ] 。
1952年、読売新聞 の招待で、訪日した。
その後も文筆活動を続けたが、1960年健康を損ね、1966年 4月、ヴァル=ドワーズ県 ヴァルモンドワ (フランス語版 ) の別荘で、81年余の生涯を閉じた。
生前、次の肩書も持った。
医学アカデミー
シャルル・ヴィルドラック は、姉の夫である。作曲家のアントワーヌ・デュアメル は息子である。
おもな著作
1907:伝説、戦闘(Des légendes, des batailles )詩集
1911:光(La Lumière )、戯曲、1911.4.3 - オデオン座 で初演
1912:彫像の影の下で(Dans l'ombre des statues )、戯曲、1913.3.14 - オデオン座で初演
1913:戦闘(Le Combat )、戯曲、1913.3.14 - テアトル・デ・ザールで初演
1917:殉難者の記録(Vie des Martyrs )、記録
1918:文明(Civilisation )、評論、ゴンクール賞 受賞。
1920:運動選手の仕事(L'Œuvre des athlètes )、戯曲、1920.4.10 - ヴィユ・コロンビエ劇場 で初演。
1921:お好きな時に(Quand vous voudrez )、戯曲、1921.2.5 - ジョルジュ・ピトエフ(Georges Pitoëff )一座が初演
1921:ラポアントとロピトー(Lapointe et Ropiteau )、戯曲、1921.2.10 - ピトエフ一座が初演
1923:告白の日(La Journée des aveux )、戯曲、1923.10.24 - ルイ・ジューヴェ 一座が初演
1920 - 1932:サラヴァンの生涯と冒険(Vie et aventures de Salavin )、連作小説
1920:1. 深夜の告白(Confession de minuit )
1924:2. 二人の男(Deux Hommes )
1927:3. サラヴァンの日記(Journal de Salavin )
1929:4. リヨン人たちのクラブ(Le Club des Lyonnais )
1932:5. あるがままに(Tel qu'en lui-même... )
1928:モスクワの旅(Le Voyage de Moscou )、紀行・評論
1930:未来生活情景(Scènes de la vie future )、紀行・評論
1933 - 1945:パスキエ家の記録(Chronique des Pasquier )、連作小説
1933:1. ル・アーヴルの司教(Le Notaire du Havre )
1934:2. 野獣の園(Le Jardin des bêtes sauvages )
1934:3. 約束の地の眺め(Vue de la Terre promise )
1935:4. 聖ジャンの夜(La Nuit de la Saint-Jean )
1937:5. ビエーヴルの砂漠(Le Désert de Bièvres )、
1937:6. 先生たち(Les Maîtres )
1938:7. われわれのセシル(Cécile parmi nous )
1939:8. 影との戦い(Le Combat contre les ombres )
1941:9. シュザンヌと若者たち(Suzanne et les Jeunes Hommes )
1944:10. ジョゼフ・パスキエの受難(La Passion de Joseph Pasquier )
1936:わが庭の寓話(Fables de mon jardin )、随筆
1937:文芸の擁護(Défense des Lettres )、評論
1944 - 1953:わが生涯に光をあてて(Lumières sur ma vie )、回想録、全5巻
1944:慰めの音楽(La musique consolatrice )、随筆
1946:天上生活回想(Souvenirs de la vie du Paradis )、小説
1950:パトリス・ペリヨの遍歴(Le Voyage de Patrice Périot )小説
1953:伝統と未来の間の日本(Le Japon entre la tradition et l'avenir )、紀行
訳書
『文明』和田伝 訳『新興文学全集 第17巻』平凡社 1930
『深夜の告白・リオネエ倶楽部』中村星湖 訳『世界文学全集』新潮社 、1931
『戦争の診断』木村太郎 訳 白水社 1931
『犠牲』木村太郎訳 白水社 1935
『北方の歌』尾崎喜八 訳 竜星閣 1940
『阿蘭陀組曲』尾崎喜八訳 竜星閣 1941 のち角川文庫 『阿蘭陀組曲・北方の歌』
『恫喝者アメリカ』木原直夫 訳 紘洋社 1941
『殉難者』木村太郎訳、創元社 (1950)
『モスコウの旅』尾崎喜八訳、龍星閣(1941)
『未来生活風景 アメリカ旅行記』神谷行 訳 筑摩書房 、1949
『未来生活情景』中込純次 訳、審美社(1985)
『文学の宿命』渡辺一夫 訳、創元社(1940)
『サラヴァンの生涯と冒険』全5巻 木村太郎訳、白水社(1942-43)
『パスキエ家の記録』全10巻:長谷川四郎 訳、みすず書房 (1950)
『わが庭の寓話』尾崎喜八訳、創元社、1953 ちくま文庫 (1998)
『慰めの音楽』戸田邦雄 訳 創元社 1952
尾崎喜八訳、白水社(1999)
脚注
出典
フランス語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。
フランス語版ウィキクォートに本記事に関連した引用句集があります。
外部リンク