ジョジョ・レイエス
ジョゼフ・アルバート・レイエス(Joseph Albert Reyes, 1984年11月20日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルス郡ウェストコビーナ出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 経歴プロ入りとブレーブス時代2003年のMLBドラフト2巡目(全体43位)でアトランタ・ブレーブスから指名され、プロ入り。 2007年にメジャー初昇格。先発で11試合に登板し、2勝を挙げた。 2008年は開幕からメジャーで、25試合に登板するも3勝11敗と大きく負け越しマイナー落ち、投球回113に対し被安打が134だった。2008年6月13日のロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム戦を最後に、勝ち星から見放され続けることになる。 2009年はシーズンの大半をマイナーで過ごし、メジャー6試合登板に終わった。 2010年はメジャー登板は1試合のみだった。 ブルージェイズ時代2010年7月、ユネル・エスコバーと共にトレードで、トロント・ブルージェイズに移籍した。移籍後はメジャー登板は無く、傘下のAA級ニューハンプシャー・フィッシャーキャッツでプレーした。 2011年はスプリングトレーニングで結果を残し、開幕ローテーション入りを果たした。4月は5試合の先発で0勝2敗・防御率5.48と振るわなかったが、既に3年間のオプションが切れ、ウェーバー公示なしではマイナーに落とせなくなっていたため、首脳陣はレイエスを辛抱強く起用し続けた。5月に入ると好投しつつも勝ち星が付かない状況が続き、5月25日のニューヨーク・ヤンキース戦でも敗戦投手になり、遂にクリス・カーティス(1911年 - 1912年)、マット・キーオ(1978年 - 1979年)が持つ28先発連続勝ち星なしの不名誉な記録に並んでしまった[1]。ここで勝ちが付かなければメジャー記録更新となる5月30日のクリーブランド・インディアンス戦、レイエスは9回1失点で自身初の完投勝利を挙げ、2008年6月以来3年ぶりの勝利を挙げた[2]。その後、7月23日にDFAとなった。 ブルージェイズ退団後2011年8月2日、ウェーバーでボルチモア・オリオールズに移籍[3]。オフにDFAとなった。 2012年1月13日にピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結んだ[4]が、この年はメジャーには昇格できず、11月にFAとなった。 SKワイバーンズ時代2012年12月にエンゼルスと契約を結んだが、2013年1月17日、精神的な問題により退団したダグ・スレイトンの代役として韓国プロ野球・SKワイバーンズと契約し、エンゼルスとの契約は解消された。SKでは3月30日に開幕投手を務め、同年は8勝を記録した。 2014年は、2勝にとどまるなど成績が悪化し、シーズン途中の6月23日にSKからウェーバー公示され退団となった。 SK退団後2014年7月8日にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結んだが、8月15日に自由契約となる。 2015年はメキシカンリーグのカンペチェ・パイレーツと契約。6月14日に自由契約となり、16日にエンゼルスとマイナー契約を結ぶ。9月30日にメジャー昇格した。10月3日のテキサス・レンジャーズ戦で4年ぶりにメジャーで登板し、8回裏から8番手として0.1回を無失点に抑えると、直後に味方が勝ち越して勝利投手となった。10月9日にDFAとなり、13日にFAとなった[5]。 2016年1月22日にマイアミ・マーリンズとマイナー契約を結んだ。6月28日にメジャー契約を結んで25人枠入りした。1試合に登板後、7月1日にDFAとなった[6]。 2017年はメキシカンリーグのティフアナ・ブルズでプレーした[7]。 投球スタイル球種は平均90.6mph(約145.8km/h)の速球とスライダー、カーブ、チェンジアップ[8]。 元々はゴロアウトが多い投手だったが、近年はフライアウトが増加している[8]。
詳細情報年度別投手成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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