ジム・デイヴィス (俳優)
ジム・デイヴィス (Jim Davis、出生名マーティン・デイヴィス(Marlin Davis) 1915年8月26日 – 1981年4月26日) は、アメリカ合衆国の俳優。CBSのプライムタイム・ソープオペラ『ダラス』のジョック・ユーイング役で知られ、末期疾患が悪化して演じることができなくなるまで役に就いていた。 生い立ちおよび経歴ミズーリ州北西のプラット郡エドガートンに生まれ、ディアボーンの高等学校卒業後、リバティにあるバプテスト系ウィリアム・ジュウェル・カレッジに進学した。カレッジにてアメリカンフットボールのチームでタイトエンドに就き、卒業時に政治学士を取得した[1]。第二次世界大戦時、アメリカ沿岸警備隊に所属していた[2]。 1948年のメロドラマ『幸福への招待状』でのベティ・デイヴィスの相手役として初めて名のある役に配役され、「ジム・デイヴィス」の芸名で知られるようになった[3]。ウォーレン・ベイティ主演の陰謀系スリラー『パララックス・ビュー』での議員役で印象を残したが、その後の映画の多くがB級映画で、そのほとんどが西部劇であった。 連続テレビドラマ『Death Valley Days』のエピソード「"Little Washington"」において、新たなネバダ州知事を狙う下院議員のマーク・テイバー役を演じるなど最終的に13回登場した。1965年、エピソード「"Devil's Gate"」にて金鉱採掘の代わりにオレゴンに立ち寄ることを決めた幌馬車隊の仲間たちに見捨てられた歴史上の人物であるワゴン・マスターのエズラ・ミーカーを演じた。1967年、サラマンダー・セーフに言及したエピソード「"The Day They Stole the Salamander"」にてサウスダコタ州デッドウッドのルーク・キャンベル役を演じた。1969年、ウィリアム・G・バトラー大佐役を演じた。バトラーはテキサス州ヘレナで息子エメットを殺害されたが誰も犯人を明かさなかったため、バトラーが手をまわしてヘレナを避けて鉄道を通し、カーンズ郡の郡庁舎をサンアントニオ南のカーンズ・シティに設置するなど復讐を果たし街を寂れさせてゴーストタウンと変えた。 1954年から1955年、西部劇アンソロジーの連続テレビドラマ『Stories of the Century』で主演およびナレーターを務めた。悪名高いガンマンやアウトローを裁くサウスウェスト鉄道の鉄道警察マット・クラーク役を演じ、メアリー・キャッスル、クリスティン・ミラーと共演した。同作はエミー賞を獲得した最初の西部劇作品となった。他にジョン・ウェズリー・ハーディン、サム・バス、ドク・ホリデイ、ドルトン・ギャング、ヤンガー・ブラザーズ、ベル・スター、ホアキン・ムリエタ、L・H・マスグローヴ、クレー・アリソンなど実在の人物が登場した。1957年、デイル・ロバートソンと共に『Tales of Wells Fargo』に出演し、過去に傷を持つアウトロー役を演じた。 1958年から1960年、アドベンチャー連続テレビドラマ『Rescue 8』でスキップ・ジョンソン役を演じ、ウェス・キャメロン役のラン・ジェフリーズと共に主演した。この頃、ジョン・ブロムフィールド主演の犯罪ドラマ『モーガン警部』にゲスト出演した。 『Perry Mason』において、1962年のシーズン6のエピソード「"The Case of the Fickle Filly"」でジョージ・テイバー役、1964年のシーズン8のエピソード「"The Case of a Place Called Midnight"」の殺人被害者ジョー・ファレル役でゲスト出演した。またジャック・ロード主演のアドベンチャー連続テレビドラマ『Stoney Burke』にゲスト出演した。1964年、『Death Valley Days』のエピソード「"After the OK Corral"」にてワイアット・アープ役を演じ、ウィリアム・タネンは牧場主でガンマンのアイク・クラントン役を演じた。 『ガンスモーク』に11回、『Daniel Boone』、『Wagon Train』、『ララミー牧場』にそれぞれ4回出演した。1963年5月14日、『ララミー牧場』の最終回の1つ前のエピソード「"Trapped"」において、トミ・サンズ、クロード・エイキンズ、モナ・フリーマンと共にゲスト出演した。スリム・シャーマン(ジョン・スミス)は森の中で誘拐され怪我をした女性(フリーマン)を見つける。マイク・ウイリアムズ(デニス・ホームズ)が助けを求めに行くが、女性は別の男に再びさらわれる。スリムは犯人を追跡するが、女性の父親(バートン・マクレーン)を3人目の犯人と誤認する。女性のボーイフレンド(サンズ)は女性の父親から捜索を依頼される。他に『The High Chaparral』の1エピソードに出演し、ジョン・ウェイン主演の『リオ・ロボ』(1970年)、『100万ドルの血斗』(1971年)に端役で出演した。 1972年のジョン・ウェイン主演の映画『11人のカウボーイ』を基にした、1974年のABCの西部劇連続テレビドラマ『The Cowboys』でマーシャル・ビル・ウィンター役で主演した。 『ダラス』および晩年やや小さい役が続いた後、1978年、『ダラス』のユーイング家の家長ジョック・ユーイング役に配役された。 シーズン4の頃、多発性骨髄腫と診断されたが、可能な限り撮影を続行した。このシーズンでは着席のシーンが多く、声は弱く病気の影響が出ていた。シーズン後半では化学療法による脱毛を隠すためにカツラを着用していた。 シーズン4終盤にて、ジョックの開発業務と妻のミス・エリ―(バーバラ・ベル・ゲデス)との不和のストーリーは突如なくなった。デイヴィスが仕事を続けられなくなり、脚本家らはジョックとミス・エリ―は2度目の新婚旅行でヨーロッパに向かうことにした。エピソード「"New Beginnings"」において、デイヴィスの体調は非常に悪く、ジョックとミス・エリ―はリムジンでサウスフォークを出発したのがデイヴィスにとって唯一のシーンであり、最後の言葉が口の動きと台詞が異なり、吹替されていた。シーズン4で残り2話を残し、これがデイヴィスにとって最後の登場シーンとなり、シーズン4放送中の1981年4月26日、合併症で亡くなった。 デイヴィスが亡くなる前から他の俳優による代役はたてないこととなった[4]。また、亡くなった後もシーズン4最終回までオープニング・クレジットに名前と写真が残された[5]。 デイヴィスが亡くなった後もシーズン5までジョック・ユーイングは生存していることになっていた。シーズン5において、ジョックとエリ―がヨーロッパからダラスに帰宅する途中、ユーイング・オイルの法的実務のためワシントンD.C.に立ち寄った。国務省はジョックに南米での石油掘削を依頼した。ジョックは世界恐慌の時代にテキサスで石油を掘り当てたことを思い返して期待を込めた。ジョックは南米に向かい、エリ―はダラスに戻ったが、家族は度々ジョックと電話で話すシーンがあった。1982年1月8日、エピソード「"The Search"」において、ジョックは南米からダラスに帰宅する途中にヘリコプターの事故で亡くなり、フラッシュバックで登場した[6][7]。 デイヴィスが亡くなり、演じていたジョック・ユーイングが亡くなった後でも『ダラス』の中で想い出話として度々登場した。 私生活1949年、2回の短期間の結婚生活の後、サンセット・ストリップにあるクラブ「モーカンボ」にてブランチェ・ハマラー(1918年–2009年)と出会った。その後結婚し、1981年にデイヴィスが亡くなるまで婚姻関係は30年以上続いた[8]。 一人娘のタラ・ダイアン・デイヴィス(1953年1月15日 – 1970年2月9日)は17歳の時に自動車事故で亡くなった。『ダラス』で息子の嫁パメラ役を演じたヴィクトリア・プリンシパルが娘にそっくりだということで親しくしていた。 死1981年4月26日、71歳でカリフォルニア州ノースリッジにある自宅で亡くなった[1]。カリフォルニア州グレンデイルにあるフォレスト・ロウン記念公園墓地に埋葬された[9]。 栄誉1960年2月、テレビドラマ20作の50エピソードにゲスト出演し、『Stories of the Century』および『Rescue 8』の双方で主演していたとして、カリフォルニア州ハリウッドにあるハリウッド・ウォーク・オブ・フェームのハリウッド・ブールヴァ―ド6290番に星を埋め込まれた[10]。 フィルモグラフィ
脚注
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