ジェレミー・デュフォアジェレミー・デュフォア(Jeremie Dufour、1975年11月2日 - )は、フランス・ロアンヌ出身の元レーシングドライバー。 プロフィール欧州での経歴1990年に世界レーシングカート選手権・ジュニアAを制覇、1991年でカートを卒業し、各種ジュニアフォーミュラを飛び級して1992年からフランスフォーミュラ3選手権にデビューした。1993年からはよりハイレベルで「F1への登竜門」とされていたイギリスF3選手権[2]に参戦。1995年はトム・ウォーキンショー・レーシングに移籍したが、ちょうどオーナーのトム・ウォーキンショーがF1チームリジェの実権を握った年であったことから、チームはイギリスF3でリジェ・ジュニアチームを名乗った。これに関連して、デュフォアはリジェのF1マシンJS41をムジェロでテストドライブすることができた。1996年にはアロウズからのオファーによりF1テストドライバーを務める。1999年にマドラスGP(F3)にカーリン・モータースポーツから出場、シリーズ2位を獲得した。 日本での参戦2001年より来日し、全日本F3選手権にインギングから参戦、全19戦のうち12戦で表彰台に立つコンスタントなスピードを発揮する。しかし同年は無限×童夢プロジェクトのサポートを受けチャンピオンとなったブノワ・トレルイエが年間15勝と制圧したシーズンであり、デュフォアの優勝は1度だったが、シリーズランキング3位を獲得した。来日初年度よりフォーミュラと並行して全日本GT選手権・SUPER GTに参戦。2004年まではトヨタ・スープラで参戦。2005年にホンダ陣営のチーム国光へ移籍し、NSXで戦った。2006年は当初レギュラーシートを獲得できていなかったが、第6戦の鈴鹿1000kmで日産ニスモ陣営のカルソニック・インパルより第3ドライバーとしてフェアレディZをドライブ、見事な助っ人ぶりを発揮しチームの勝利に貢献した。この勝利により、トヨタ・ホンダ・日産の3メーカー全てで優勝を記録した初めてのドライバーとなった。JGTC全体を通して決勝は後方からのスタートが多かったがレースペースは非常に良く、特に2002年には多数のごぼう抜きを演じた。 2007年のスーパーGTスポット参戦を最後にレーサーとしての活動はしていない。 レース戦績
イギリス・フォーミュラ3選手権
全日本フォーミュラ3選手権
全日本GT選手権/SUPER GT
主要レース通算戦績
脚注
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