ジェラルド・ファネンブルグ

ジェラルド・ファネンブルグ
名前
本名 ジェラルド・メルウィン・ファネンブルグ
愛称 ジェラ
カタカナ ジェラルド・ファネンブルグ
ラテン文字 Gerald Mervin VANENBURG
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
スリナムの旗 スリナム
生年月日 (1964-03-05) 1964年3月5日(61歳)
出身地 ユトレヒト
身長 172cm
体重 70kg
選手情報
ポジション MFDF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1980-1986 オランダの旗 アヤックス 173 (64)
1986-1993 オランダの旗 PSVアイントホーフェン 199 (48)
1993-1996 日本の旗 ヤマハ/ジュビロ磐田 86 (14)
1996-1997 オランダの旗 ユトレヒト 9 (2)
1997-1998 フランスの旗 ASカンヌ 26 (6)
1998-2000 ドイツの旗 1860ミュンヘン 42 (2)
通算 535 (136)
代表歴
1982-1992 オランダの旗 オランダ[1] 42 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジェラルド・ファネンブルグ(Gerald Vanenburg、1964年3月5日 - )は、オランダユトレヒト出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはMFDFリベロ)。オランダ現地での発音は「ヘラルト・ファネンブルフ」。

略歴

アヤックスの下部組織で育ち1980年に1軍デビューを果たすと、直ぐに頭角を現しレギュラーの座を掴むと3度のリーグ優勝に貢献した。この活躍によりオランダ代表に選出され、1982年4月14日ギリシャ戦において代表デビューを果たした。

その後は伸び悩んでいた中[2]、1986-1987シーズンにはPSVアイントホーフェンへ移籍し中心選手として活躍をみせ、5度のリーグ優勝に貢献。、1987-88シーズンにはUEFAチャンピオンズカップ決勝のベンフィカ戦では先発フル出場、PK戦では4人目のキッカーとしてPKを成功させ優勝を果たした[3]。1988-89シーズン開幕前にはミカエル・ラウドルップとのトレードでユベントス移籍の話も出ていたが、チームと4年間の契約を延長した[2]。同年日本で開催されたインターコンチネンタルカップのナショナル戦に先発出場したが、69分に交代、チームは2-2から延長PK戦の末に敗れた[4]

EURO1988では右ウイングの位置から中盤を組み立て優勝に貢献した[5]1990年イタリアW杯ではグループリーグ初戦のエジプト戦で先発出場したが、後半開始から途中交代を命じられ[6]、その1試合のみの出場に留まった。1992年10月14日のFIFA ワールドカップ 1994予選、ポーランド戦で途中交代で出場を果たしたが[7]、この試合が代表最後の試合となった。

1993年には日本代表監督であったハンス・オフトから誘われる形で、当時JFLヤマハ発動機ジュビロ磐田)へ入団、広い視野[8]、高いテクニックと左足の正確なキックを武器にチームに貢献[9]、その後迎える磐田の黄金時代に大きな影響を与えた[10]。1994年度には週刊サッカーマガジンが選出したJリーグ年間ベストイレブンに選出されている(ポイントは第1位)[11]

1994年4月13日のジェフユナイテッド市原戦でJリーグ初ゴールを決めた[12]。加入当初は中盤の司令塔としてプレーしたが[10]ドゥンガの加入後はリベロとしてプレーした[10]。1995年は古傷である左膝の状態が悪く、1stステージ序盤から終盤まで欠場、複帰後もフル出場は出来ない状態であった[13]。1996年9月21日、第20節のアビスパ福岡戦で2ゴール(2点目のゴールは磐田での最後のゴール)を決めて勝利に貢献するなどの活躍をしていたが[14]、その後は負傷で第22節から25節まで欠場、10月26日、第26節のジェフ市原戦で複帰、74分から藤田俊哉との交代で出場するも、その試合で負傷し、82分に交代を強いられ[15]、この試合が磐田でも最後の試合となった。Jリーグ通算は86試合14ゴールの成績を残した[12]

磐田退団後は故郷のクラブチーム・FCユトレヒトへ移籍した。その後フランスのASカンヌを経て、2000年ドイツ・ブンデスリーガ1860ミュンヘンを最後に現役を引退した。

引退後はPSVユースの監督、かつて在籍した1860ミュンヘンの監督を務めた。その後再びPSVの育成部門に復帰したが2006年3月現在フリー。2005年12月にはオランダサッカー協会の指導者ライセンスを取得している。

トピックス

  • オランダのファンからは、ブラジル人張りのテクニシャンでドリブルの名手と言う意味で「ヘラルジーニョ」の通称で呼ばれることもあった[16][5]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
1980-81 アヤックス エールディヴィジ 11 3
1981-82 32 13
1982-83 33 17
1983-84 34 7
1984-85 29 12
1985-86 34 12
1986-87 PSV 34 9
1987-88 34 1
1988-89 34 10
1989-90 21 6
1990-91 29 11
1991-92 19 7
1992-93 28 4
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1993 ヤマハ 旧JFL1部 - 4 2 1 0 5 2
1994 磐田 - J 43 8 4 0 1 0 48 8
1995 21 1 - 2 1 23 2
1996 22 5 12 3 0 0 34 8
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
1996-97 ユトレヒト エールディヴィジ 9 2
フランス リーグ戦 F・リーグ杯フランス杯 期間通算
1997-98 カンヌ ディヴィジョン・アン 26 6
ドイツ リーグ戦 リーグ杯DFBポカール 期間通算
1998-99 1860ミュンヘン ブンデスリーガ 27 2
1999-00 15 0
通算 オランダ エールディヴィジ 381 114
日本 J 86 14 16 3 3 1 105 18
日本 旧JFL1部 - 4 2 1 0 5 2
フランス デヴィジョン・アン 26 6
ドイツ ブンデスリーガ 42 2
総通算 535 136

代表歴

試合数

  • 国際Aマッチ 42試合 1得点(1982年-1992年)[17]


オランダ代表国際Aマッチ
出場得点
1982 4 0
1983 5 1
1984 0 0
1985 0 0
1986 4 0
1987 7 0
1988 10 0
1989 4 0
1990 6 0
1991 1 0
1992 1 0
通算 42 1

指導歴

タイトル

選手時代

アヤックス・アムステルダム
PSVアイントホーフェン
オランダ代表
個人

出典

  1. ^ “Gerald Vanenburg - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/vanenburg-intl.html 
  2. ^ a b トヨタカップ 1988大会公式パンフレット P.24-25
  3. ^ PSV Eindhoven - SL Benfica 1988 match sheet”. www.transfermarkt.com. 2020年4月26日閲覧。
  4. ^ Club National -PSV Eindhoven Dec11 1988 match sheet”. www.transfermarkt.com. 2020年4月26日閲覧。
  5. ^ a b “ラウドルップ、ストイコヴィッチ、リュングベリ…ユーロでプレーした歴代外国人Jリーガーを振り返る ページ4”. excite.co.jp. (2016年6月24日). https://www.excite.co.jp/news/article/Soccerking_460658/?p=4= 2020年4月8日閲覧。 
  6. ^ Netherlands - Egypt Jun12 1990 match sheet”. www.transfermarkt.com. 2020年4月26日閲覧。
  7. ^ Netherlands - Poland Oct14 1992 match sheet”. www.transfermarkt.com. 2020年4月26日閲覧。
  8. ^ “福西崇史が選ぶJ歴代ベスト11「ドゥンガから口酸っぱく言われたことは…」”. www.soccerdigestweb.com. https://www.soccerdigestweb.com/news/detail2/id=72383 2020年4月26日閲覧。 
  9. ^ “ジュビロ磐田、歴代最強外国籍選手5人。ドゥンガ、スキラッチ…黄金期の礎を築いたスターたち”. www.footballchannel. https://www.footballchannel.jp/2020/04/27/post371782/ 2020年4月26日閲覧。 
  10. ^ a b c “ラウドルップ、ストイコヴィッチ、リュングベリ…ユーロでプレーした歴代外国人Jリーガーを振り返る ページ5”. excite.co.jp. (2016年6月24日). https://www.excite.co.jp/news/article/Soccerking_460658/?p=5 2020年4月8日閲覧。 
  11. ^ 週刊サッカーマガジン 12/21 no.485号 p.104-105 ベースボールマガジン社
  12. ^ a b “ファネンブルグ”. j-league. https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=1591 2020年4月8日閲覧。 
  13. ^ 週刊サッカーマガジン 1996年2月21日 No.543 P.14-15
  14. ^ “1996Jリーグ 第20節”. j-league. https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=2155 2020年4月8日閲覧。 
  15. ^ “1996Jリーグ 第26節”. j-league. https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=2200 2020年4月8日閲覧。 
  16. ^ サッカーマガジン 1988年9月号 no.353 p.20-32
  17. ^ ジェラルド・ファネンブルグ - National-Football-Teams.com

関連項目

外部リンク

 

Prefix: a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9

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