ジェイク・スモリンスキー
ジェイコブ・マイケル・スモリンスキー(Jacob Michael Smolinski, 1989年2月9日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州ウィネベーゴ郡ロックフォード出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 経歴プロ入りとナショナルズ傘下時代2007年のMLBドラフト2巡目(全体70位)でワシントン・ナショナルズから指名され、6月11日に契約。契約後、傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ナショナルズでプロデビュー。28試合に出場して打率.305、1本塁打、16打点、7盗塁を記録した。 2008年はまずA級ヘイガーズタウン・サンズでプレーし、50試合に出場して打率.261、4本塁打、22打点、1盗塁を記録した。8月からルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ナショナルズ、8月11日からA-級バーモント・レイクモンスターズでプレー。A-級バーモントでは24試合に出場して打率.306、9打点、4盗塁を記録した。 マーリンズ傘下時代2008年11月11日にジョシュ・ウィリンガム、スコット・オルセンとのトレードで、エミリオ・ボニファシオ、P.J.ディーンと共にフロリダ・マーリンズへ移籍した[1]。 2009年は傘下のA級グリーンズボロ・グラスホッパーズでプレーし、77試合に出場して打率.283、7本塁打、31打点、2盗塁を記録した。 2010年はA+級ジュピター・ハンマーヘッズでプレーし、109試合に出場して打率.264、5本塁打、51打点、8盗塁を記録した。 2011年はAA級ジャクソンビル・サンズでプレーし、116試合に出場して打率.245、7本塁打、36打点、6盗塁を記録した。 2012年はAA級ジャクソンビルでプレーし、112試合に出場して打率.257、7本塁打、42打点、9盗塁を記録した。 2013年はAAA級ニューオーリンズ・ゼファーズでプレーし、95試合に出場して打率.258、9本塁打、31打点、8盗塁を記録した。オフの11月5日にFAとなった。 レンジャーズ時代2013年11月18日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ。 2014年は傘下のAA級フリスコ・ラフライダーズで開幕を迎え、6月にAAA級ラウンドロック・エクスプレスへ昇格。7月7日にレンジャーズとメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りし[2]、同日のヒューストン・アストロズ戦でメジャーデビュー。7回裏にレオネス・マーティンの代打として出場したが、三振に終わった。8回から左翼の守備に就き、この日は2打数無安打1三振だった[3]。7月22日のニューヨーク・ヤンキース戦で自打球を足に当てて骨折の後、9月に戦列復帰。この年メジャーでは24試合に出場して打率.349、3本塁打、12打点を記録した。 2015年、レンジャーズでは35試合に出場したが、打率.133、1本塁打、3打点、1盗塁という成績で、前年から打って変わって大不振に陥った。その後、6月19日にDFAとなった[4]。 アスレチックス時代2015年6月21日にウェイバー公示を経てオークランド・アスレチックスへ移籍した[4]。アスレチックス加入後は41試合に出場したが、打率は.224だった。2チームトータルでは、76試合の出場で打率.193、6本塁打、26打点、1盗塁という成績だった。 2016年は外野のユーティリティープレイヤーとして起用され、99試合に出場して打率.238、7本塁打、27打点、1盗塁を記録した。 2018年のレギュラーシーズン終了後の10月12日にマイナー契約で傘下のAAA級ナッシュビル・サウンズへ配属され、16日にFAとなった[5]。 レイズ傘下時代2018年11月7日にタンパベイ・レイズとマイナー契約を結び、2019年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[6]。シーズン開幕をAAA級ダーラム・ブルズで迎え、2019年7月2日、FAとなった。 NCダイノス時代2019年7月9日、不振により退団したクリスチャン・ベタンコートの代役として韓国プロ野球のNCダイノスと契約した[7]が、同年限りで退団し、結果的にこの年限りで現役を引退した。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
年度別投手成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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