シンフォニア・タプカーラ『シンフォニア・タプカーラ』(または『タプカーラ交響曲』、伊: Sinfonia Tapkaara)は、伊福部昭による交響曲である。「タプカーラ」とはアイヌ語において「立って踊る」と言う意味である[1]。 概要伊福部昭は少年期に交流したアイヌへの共感とノスタルジーが作曲の動機であると語る[1]。また、この作品は伊福部昭の親友であった音楽評論家の三浦淳史に献呈されている[2]。 1936年、アレクサンドル・チェレプニンは個人授業において、ミリィ・バラキレフを例に出し、伊福部昭に未熟な内の交響曲の作曲を戒めた。1943年、伊福部昭は『交響譚詩』を作曲するが、この作品を交響曲と名付けようとしていた[3]。 また、本作はスケッチのみを残して戦災に消えた『ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲』(1941年作曲)に部分的に基いている。同「協奏風交響曲」からモチーフを利用した楽曲として『ピアノと管絃楽のためのリトミカ・オスティナータ』(1961年作曲)がある。 なお、その『ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲』のパート譜は1997年から数年前NHKの資料庫から発見された。その後総譜が甲田潤によって復元され、さらに蘇演された。 2023年に公開された東京音楽大学による「伊福部昭デジタルアーカイブ」に含まれる「バラの楽譜(1951)」と名付けられた資料により、「シンフォニア・タプカーラ」と「リトミカ・オスティナータ」はこのスケッチにおいて同時に構想が始まっていた事が分かっている。 初稿この作品が完成した年は伊福部昭が東京音楽学校の作曲科講師を退任し、著作『管絃楽法』(完本ではない)上巻を発刊させた翌年であり、さらに自身の代表作となる映画『ゴジラ』が公開した年でもある[2]。完成の翌年、伊福部昭は世界初演を録音したテープを聴き、その演奏について「演奏指導もせず、ただ楽譜を送るだけだとこうなるのかと勉強になった」と語った。このテープに録音された第1楽章は終わった直後に観客の拍手を含んでおり、世界初演を行ったファビエン・セヴィツキーはそれを詫びていた。 作曲と初演
編成曲の構成全3楽章。改訂版と初稿の違いは主に第1楽章の冒頭部、第2楽章の中間部、第3楽章の終結部である。 備考
脚注 |