シャルル・ド・クレーヴ(フランス語:Charles de Clèves, ドイツ語:Karl von Kleve, 1491年ごろ[1] - 1521年8月27日)は、ヌヴェール伯およびウー伯(在位:1506年 - 1521年)。また、結婚によりルテル伯となった。
生涯
シャルルはヌヴェール伯アンジルベールとシャルロット・ド・ブルボンの長男である。父はドイツ貴族のマルク家の出身、母はフランス王家の分家であるブルボン家の出身である。シャルルはフランソワ1世の宮廷で陰謀に巻き込まれ、1521年にルーヴル宮殿の塔に投獄された。母シャルロットとブルボン公シャルル3世はシャルルの釈放のために活動した。しかし、シャルルは釈放前に死去した[2]。
1504年1月25日(または1505年)に、父の従姉妹にあたるルテル女伯マリー・ダルブレと結婚し[3]、1男をもうけた。
- フランソワ1世(1516年 - 1562年)[4] - ヌヴェール伯、のちヌヴェール公、ウー伯、ルテル伯
脚注
- ^ “Karl von *Cleve, Graf von Nevers”. 2023年5月9日閲覧。
- ^ Nicolas Viton de Saint-Allais: Charles de Clèves. in: L’Art de vérifier les dates des faits historiques, des chartes, des chroniques, et autres anciens monuments, depuis la naissance de Jésus-Christ, …. 1818, OCLC 18113463, (online, p. 145.)
- ^ “MARIE D’ALBRET, COMTESSE DE NEVERS, d’Eu, et de Rethel (1)”. 2014年9月7日閲覧。
- ^ “Nevers. Comtes puis ducs Maisons de Clèves & de Gonzague”. racineshistoire.free.fr. 2014年9月7日閲覧。