シャルル1世・ダルブレ(フランス語:Charles Ier d'Albret, 1368年12月 - 1415年10月25日)は、アルブレ領主、フランス軍司令官(英語版)(在任:1402年 - 1411年、1413年 - 1415年)。また、アジャンクールの戦いではフランス軍の司令官の1人であったが、この戦いでヘンリー5世率いるイングランド軍により殺害された。
生涯
シャルル1世はアルブレ領主アルノーとマルグリット・ド・ブルボンの息子として生まれた。若い頃にベルトラン・デュ・ゲクランの下で軍に加わり、ローゼベーケの戦いに参加した。1403年にシャルル6世によりフランス軍司令官に任命されたが、宮廷でブルゴーニュ派が権力を握ると解任された。1413年にアルマニャック派が権力を取り戻したとき、シャルル1世は軍司令官の地位に復帰した。フランス宮廷で重要な役割をつとめ、クリスティーヌ・ド・ピザンの2つの『Autres Ballades』(第2番と第3番)の主題となっている。
アジャンクール遠征ではブシコー元帥ジャン2世・ル・マングルとともに名目上はフランス軍の指揮官であったが、2人の司令官は戦闘当日、フランスの上級貴族を効果的に統制することができなかった。シャルル1世は1415年10月25日、ヘンリー5世率いるイングランド軍との戦いでアジャンクールにおいて戦死した。ヴィエイユ=エスダンの修道院教会に埋葬された。
結婚と子女
1400年1月27日に、ルイ・ド・シュリーとイザベル・ド・クラオンの娘[4]マリー・ド・シュリーと結婚し[5]、以下の子女をもうけた。
- ジャンヌ(1403年 - 1433年) - 1422年にフォワ伯ジャン1世と結婚
- シャルル2世(1407年 - 1471年) - アルブレ領主、アンヌ・ダルマニャックと結婚
- ギヨーム - オルヴァル領主、1429年にニシンの戦いで戦死
- ジャン
- カトリーヌ - シャルル・ド・モンテギュ(1363年 - 1409年)と結婚
脚注
参考文献
- Biu, Hélène (2002). “Du panégyrique à l'histoire : l'archiviste Michel de Bernis, chroniqueur des comtes de Foix (1445)” (French). Bibliothèque de l'École des chartes 160 (2): 385–473. doi:10.3406/bec.2002.451098.
- Bradbury, Jim (2004). The Routledge Companion to Medieval Warfare. Routledge
- Chattaway, Carol Mary (2006). The Order of the Golden Tree: The Gift-giving Objectives of Duke Philip the Bold of Burgundy. Isd
- Courroux, Pierre (2017). “How to become Armagnac? The case of Charles I d'Albret, 1368–1415”. French History 31 (2): 133–151. doi:10.1093/fh/crx017.
- Galand, Gérard (2005) (French). Les seigneurs de Châteauneuf-sur-Sarthe en Anjou. Cheminements
- Loehlin, James (2000). Shakespeare in Performance: Henry V. Manchester University Press
- Wagner, John A., ed. (2006). "Albret, Charles, Lord of, Constanble of France". Encyclopedia of the Hundred Years War. Greenwood Press.
- Willard, Charity Cannon (1998). “Christine on the Art of Warfare”. In Desmond, Marilynn. Christine de Pizan and the Categories of Difference. University of Minnesota Press