シドニー・ベシェ
シドニー・ベシェ(Sidney Bechet、1897年5月14日 - 1959年5月14日)は、アメリカ・ルイジアナ州ニューオーリンズ出身のジャズ・ミュージシャン。クラリネット奏者として活動を始め、ソプラノ・サックスも吹くようになる。ニューオーリンズ・ジャズの分野で活動。アメリカのオーケー・レコードやブルーノート・レコード、フランスのヴォーグ(Vogue)等のレーベルに録音を残した。フランス・パリで死去。ルイ・アームストロングと並んで、ジャズ史上初の重要なソロイストの1人と評される[1]。ザ・ピーナッツやクリス・バーバーのジャズ・バンドでよく知られている『可愛い花』の作曲と、オリジナルの録音がシドニー・ベシェである。 生涯出生〜初録音ニューオーリンズでクレオールの家系に生まれた[1]。兄はトロンボーンとクラリネットを習っていたが、ベシェは8歳の頃にクラリネットに強い興味を示し、兄からクラリネットを渡される[1]。ベシェは少年時代からニューオーリンズのトップ・バンドで演奏するほどの腕前になり、また、自分より2歳年上のジミー・ヌーンにクラリネットを教えていたこともある[2]。ニューオーリンズ時代には、ベシェはバンク・ジョンソン率いるジ・イーグル・バンドで活動したこともあり、また、キング・オリヴァーとも共演した[1]。オリヴァーとは後にシカゴでも共演し[1]、ジョンソンとは1945年にブルーノート・レコードのレコーディングで再び共演している[3]。 19歳になると、ベシェはニューオーリンズを出てピアニストのクラレンス・ウィリアムズと共にシカゴへ出た[1]。 1919年、ベシェはウィル・マリオン・クックが率いるサザン・シンコペイテッド・オーケストラに参加してロンドンへ渡る[4]。そして、1921年2月にロンドンで行われた「ベニー・ペイトンズ・ジャズ・キングス」のレコーディングでクラリネットを担当するが、この時の録音は発表されていない[5]。そして、ベシェはこのようにアメリカを離れて活動していた頃、ソプラノ・サックスを吹き始めている[2][4]。 アメリカへ帰国したベシェは、1923年1月にベッシー・スミスのバックでクラリネットとソプラノ・サックスを吹くが、この録音も未発表に終わる[5]。同年7月30日、ベシェは「クラレンス・ウィリアムズ・ブルース・ファイヴ」の録音に参加し、「Wild Cat Blues」と「Kansas City Man Blues」の2曲でソプラノ・サックスを演奏。これが、現存する限りではベシェの最も古い録音である[5]。 アメリカやヨーロッパでの活動このクラレンス・ウィリアムズ・ブルース・ファイヴの1924年の録音では、ベシェに加えてルイ・アームストロングも参加した[6]。また、ベシェはデューク・エリントンとも活動を共にしている[4]。その後はヨーロッパを回り、パリ、ロンドン、ベルリン、ソビエト連邦等で演奏した[4]。 アメリカに戻ったベシェは、1932年に友人のトランペット奏者トミー・ラドニアと共にザ・ニューオーリンズ・フィートウォーマーズというバンドを結成。ザ・ニューオーリンズ・フィートウォーマーズは、1938年12月23日にカーネギー・ホールでジョン・ハモンドのプロデュースにより行われた「From Spirituals to Swing」というコンサートにも出演している[7]。 1939年6月8日、ベシェはこの年に設立されたばかりのブルーノート・レコードでレコーディングを行い、ここでベシェが録音した「サマータイム」は、ブルーノートのレコードとしては初のヒット作になった[8]。 1949年にパリのサル・プレイエルで行われたジャズ・フェスティヴァルに出演すると、ベシェの演奏はセンセーションを呼び起こし、それを機にベシェはフランスへ移った[2]。その後はフランスでの活動が主体となり、1950年代には"Petite Fleur"をレコーディングした。同曲は『可愛い花』としてザ・ピーナッツやクリス・バーバーズ・ジャズ・バンド、アッカー・ビルクらがカバーした。また、ピーナッツ・ハッコーは『小さな花』の題名で発表している。ベシェは、1953年8月にアメリカへ一時帰国した際、自身最後となるブルーノート・レコードでのレコーディングを行った[3]。 1959年、62歳の誕生日である5月14日にパリで死去[2]。死因は肺癌であった[4]。 ディコグラフィ主なコンピレーション・アルバム
主なシングル
シドニー・ベシェを題材とした作品デューク・エリントンは、1970年にニューオーリンズを題材としたアルバム『ニューオーリンズ組曲』(Atrantic)を制作したが、その中にはベシェに捧げた「シドニー・ベシェの肖像」(Portrait of Sidney Bechet)という楽曲が収録されている。この楽曲は当初ベシェから影響を受けたジョニー・ホッジスがソロを取るはずだったが、録音前にホッジスが急逝したため、代役としてノリス・ターネイがソロを取った。 参考文献
脚注
外部リンク |
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