アレクセイ・“サーシャ”・アレクサンドロヴィチ・ゲゲチコリ (ロシア語 : Алексей (Саша) Александрович Гегечкори 、1887年 12月5日 - 1928年 6月7日 )、民族名アレクシ(アレクサンドレ)・“サーシャ”・アレクサンドレス・ゼ・ゲゲチコリ (グルジア語 : ალექსი (ალექსანდრე / საშა) ალექსანდრეს ძე გეგეჭკორი )は、グルジア人のボリシェヴィキ 活動家。
生涯
1887年 12月5日(ユリウス暦 11月23日)、ロシア帝国 クタイス県 (ロシア語版 ) ナオガレジで貴族の家に生まれた[ 1] 。後にソ連内相 ラヴレンチー・ベリヤ の妻となるニーナは姪[ 2] 。ニーナの伯従父はグルジア民主共和国 外相を務めたエヴゲニ (ロシア語版 ) [ 3] 。
1902年 から革命運動に関わり、1908年 にボリシェヴィキ に入党[ 1] 。チフリス 、バクー 、ミングレリア (グルジア語版 ) 、チェリャビンスク 、ロストフ・ナ・ドヌ で党細胞を組織し、繰り返し弾圧された[ 1] 。二月革命 後はクタイス でボリシェヴィキ局の創設に参加し、翌1918年 には党西グルジア参謀長としてメンシェヴィキ 政権に対する暴動を指揮した[ 1] 。同年秋にはテレク州 での白軍 との闘いで重傷を負い、赤旗勲章 を授与された[ 1] 。
1921年 6月10日から12月14日までチフリス革命委員会議長[ 4] 、同年から翌1922年 までグルジア革命委メンバー、同年から翌1923年 までグルジア社会主義ソビエト共和国 内務人民委員、1922年から人民委員会議副議長、1924年 から農業人民委員を務めた[ 1] 。農業人民委員時代、ゲゲチコリはトビリシ のホテルに同僚や友人らを集めてパーティーを開いたが、この時、泥酔したゲゲチコリは銃を乱射して1人を殺害する事件を起こしている(このパーティーでは女子職員や少年らがレイプされたとも言われる)[ 5] 。しかし、この事件はゲゲチコリの義甥でグルジア共和国GPU 長官のベリヤによってもみ消された[ 5] 。
その後、ゲゲチコリはグルジア共産党 (英語版 ) 中央委、全グルジア中央執行委、ソビエト連邦中央執行委 のメンバーも務め[ 6] 、第11回 (ロシア語版 ) と第15回 (ロシア語版 ) の連邦党大会にも出席したが[ 1] 、1928年 6月7日、戦争の後遺症を苦にしてトビリシで自殺した[ 7] (公金横領[ 8] あるいは党の倫理規定違反に問われ、自殺に追い込まれたとも言われる[ 9] )。
グルジアの都市マルトヴィリ (グルジア語版 ) およびマルトヴィリ地区 (グルジア語版 ) は、ゲゲチコリを記念して1936年から1991年まで「ゲゲチコリ」および「ゲゲチコリ地区」と呼ばれた[ 1] [ 10] 。
脚注
^ a b c d e f g h Гегечкори // Газлифт — Гоголево. — М . : Советская энциклопедия, 1971. — (Большая советская энциклопедия : [в 30 т.] / гл. ред. А. М. Прохоров ; 1969—1978, т. 6).
^ “Нина Берия: самая красивая из кремлевских жен” . Рамблер . (2018年1月15日). https://news.rambler.ru/other/38890810-nina-beriya-samaya-krasivaya-iz-kremlevskih-zhen/?updated 2018年4月14日 閲覧。
^ Прудникова Е. А. (2005). "Нина" . Берия. Преступления, которых не было (5000 экз ed.). СПб. : Нева. ISBN 5-7654-4028-2 。
^ პავლიაშვილი, ვანო. “დედაქალაქის „მმართველობითი ანატომია“” . მთავარი. https://www.versia.ge/index.php/2013-07-31-11-22-32/item/4591-%25E1%2583%2593%25E1%2583%2594%25E1%2583%2593%25E1%2583%2590%25E1%2583%25A5%25E1%2583%2590%25E1%2583%259A%25E1%2583%2590%25E1%2583%25A5%25E1%2583%2598%25E1%2583%25A1-%25E2%2580%259E%25E1%2583%259B%25E1%2583%259B%25E1%2583%2590%25E1%2583%25A0%25E1%2583%2597%25E1%2583%2595%25E1%2583%2594%25E1%2583%259A%25E1%2583%259D%25E1%2583%2591%25E1%2583%2598%25E1%2583%2597%25E1%2583%2598-%25E1%2583%2590%25E1%2583%259C%25E1%2583%2590%25E1%2583%25A2%25E1%2583%259D%25E1%2583%259B%25E1%2583%2598%25E1%2583%2590%25E2%2580%259C&xid=17259,15700023,15700124,15700149,15700168,15700173,15700186,15700201&usg=ALkJrhgM7L8ixDGyk-lKnXA6flzRxTf8Ww 2018年4月14日 閲覧。
^ a b ウィトリン (1978) 148-149頁
^ “საშა გეგეჭკორი ”. საქართველოს პარლამენტის ეროვნული ბიბლიოთეკა (英語版 ) . 2018年4月14日 閲覧。
^ Уточкина В . “Алексей Гегечкори ”. Peoples.ru. 2018年4月14日 閲覧。
^ ウィトリン (1978) 166頁
^ "Бериевская "оттепель" " (газета) (6) (АиФ Долгожитель ed.). М . 19 March 2003.
^ МАРТВИЛИ // М . : Большая Российская энциклопедия, 2000. — (Большой энциклопедический словарь / гл. ред. А. М. Прохоров ).
参考文献
タデシュ・ウィトリン 著、大沢正 訳『ベリヤ - 革命の粛清者』早川書房 〈ハヤカワ・ノンフィクション〉、1978年(原著1972年)。