サーシャ・クリエスタン
サーシャ・クリエスタン(Sacha Kljestan, 1985年9月9日 - )は、アメリカ合衆国、カリフォルニア州出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはMF。 サッカーゲームFIFA 10北米版のカバーにフランク・ランパード、クアウテモク・ブランコと一緒に登場している。 家族兄弟のゴードン・クリスタンはかつてレッドブル・ニューヨークのオープンカップに出場した経験がある元サッカー選手である。ボスニア出身のセルビア人の父SlavkoはFKジェリェズニチャル・サラエヴォでプレーしたセミプロのサッカー選手だった。 経歴ユース・学生時代地域Ⅳのオリンピック・ディベロップメント・プログラム・チームでプレーした。彼はまたシートン・ホール大学のチームで3年間プレーした。2004年には全米大学体育協会(NCAA)のベストイレブンに選ばれ、2005年にはベストイレブンのサードチームに選ばれた。2005年にはビッグ・イースト・カンファレンスのオフェンシブ・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、2004年と2005年にはビッグ・イースト・カンファレンスのベストイレブンに選ばれた。大学時代の2005年に記録したアシスト数15は1シーズンでの過去最高記録であり、3年間の通算アシスト数28は歴代5位の記録である。キャリアを通じて20ゴールを挙げ、3度のNCAAトーナメント出場に貢献した。2006年のMLSスーパードラフトでは全体の5位でオレンジカウンティ・ブルースターに指名された。 プロ入り後2006年のMLS最優秀新人選手賞の最終候補にノミネートされ、2007年にはコパ・アメリカ2007に参加した。また、U-23アメリカ代表としてCONCACAFプレオリンピック大会に出場し、3-0で勝利したカナダ戦で得点した。2007年4月21日、レアル・ソルトレイク戦の後半に相手FWアンディ・ウィリアムスに対して悪質なファールをし、イエローカードを受けたが、ウィリアムズは深刻な怪我を負うこととなった。このため、MLSの裁定委員会はプレーを再検討し、目に余る反則であり、レッドカードに値するとの結論を下した。4月25日、イエローカードとの判定が覆り、前述のラフプレーのために2試合の出場停止と1000ドルの罰金処分が下された。 2008年のMLSオールスターゲームでは先発出場する11人に選出されたが、その代わりに北京オリンピックのアメリカ代表メンバーに招集されたため、オールスターには参加しなかった。クラブや代表でのプレーぶりは海外のクラブも目を引くほどで、2009年1月中旬にはアメリカ代表の冬合宿を離れ、スコティッシュ・プレミアリーグのセルティックFCのトライアルに参加した。 2010年6月、2009-10シーズンのジュピラーリーグ優勝クラブであるRSCアンデルレヒトと契約した[1]。 2015年1月、ニューヨーク・レッドブルズ へ移籍した。2016シーズンには20アシストを記録した。MLSでシーズン20アシスト以上を記録したのはクリエスタンとカルロス・バルデラマの2人のみである。2017年2月15日にはダックス・マッカーティに代わり、キャプテンに指名された。 2018年1月3日、オーランド・シティSCへ移籍した。 2019年12月11日、ロサンゼルス・ギャラクシーへ移籍した[2]。 2023年1月5日、現役引退を表明した[3]。 アメリカ代表2004年からU-20アメリカ代表に招集されて16試合1得点の成績を残し、2005年にはFIFAワールドユース選手権に出場した。2007年はじめ、アメリカA代表チームのトレーニングキャンプに呼ばれたが、試合に出場することはなかった。6月2日にカリフォルニア州のサンノゼで行われた中国戦で初出場し、ベニー・ファイルハーバーの得点をアシストした。2008年にはピーター・ノーワックスが率いるU-23アメリカ代表の一員として北京オリンピックに出場した。出場を決定させたカナダ戦で得点したほか、本大会グループリーグの2-2で引き分けたオランダ戦、1-2で敗れた決勝トーナメントのナイジェリア戦で得点し、計2得点でチームのトップスコアラーになった。 北京オリンピック後はA代表を率いるボブ・ブラッドリー監督に常に招集され、センターハーフのポジションで出場している。2010 FIFAワールドカップ北中米カリブ海予選では2アシストを決め、2009年1月24日のスウェーデン戦ではハットトリックを達成し、3-2で勝利した。それまで無得点だった選手がハットトリックを達成したのは、1934年5月24日に4得点を決めたアルド・ドネリに次いでアメリカ代表史上2人目である。また、アメリカ代表の歴史の中で11度目のハットトリック達成であった。2010年2月24日、エルサルバドル戦の92分に決勝点となるゴールを決め、代表4ゴール目を派手なゴールセレブレーションで祝った。 個人成績クラブ
クラブ
代表での得点
タイトル
脚注
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia