サヴェルヌ

Saverne


行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) グラン・テスト地域圏
(département) バ=ラン県
(arrondissement) サヴェルヌ郡
小郡 (canton) サヴェルヌ小郡
INSEEコード 67437
郵便番号 67700
市長任期 エミール・ブレッシグ
2008年-2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes de la région de Saverne
人口動態
人口 11,966人
2007年
人口密度 460人/km2
住民の呼称 Savernois(es)
地理
座標 北緯48度44分32秒 東経7度21分46秒 / 北緯48.742222度 東経7.362777度 / 48.742222; 7.362777座標: 北緯48度44分32秒 東経7度21分46秒 / 北緯48.742222度 東経7.362777度 / 48.742222; 7.362777
標高 平均:? m
最低:177 m
最高:463 m
面積 26.01km2 (2 601ha)
Saverneの位置(フランス内)
Saverne
Saverne
公式サイト Site officiel de la ville de Saverne
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サヴェルヌフランス語: Saverne、標準ドイツ語: Zabern(ツァベルン)アルザス語: Zàwere(ツァヴェーレ))は、フランスグラン・テスト地域圏バ=ラン県コミューン

地理

県西部、アルザスとロレーヌの境近くに位置する。ストラスブールの北西約40kmにある。市内をゾルン川およびマルヌ・オ・ラン運河が流れている。サヴェルヌは、アルザスのヴォージュ山地からロレーヌの平野へと抜ける自然の交差路、コル・ド・サヴェルヌ(fr)の戦略的要所を占めている。

歴史

ローマ時代ストラスブールからメスへと通じるローマ街道沿いにTres Tabernaeという名のローマの軍事駐屯地があった。これがサヴェルヌの基盤となった。8世紀にアレマン族が移住してから、サヴェルヌはドイツ語圏に組み込まれた。フランク王国時代のサヴェルヌはメス司教座に属したが、12世紀にストラスブール司教座に移った。1414年からフランス革命の起きた1789年まで、サヴェルヌにはストラスブール司教の邸宅が置かれた。

一方でサヴェルヌは繰り返される戦争の焦点となった。14世紀から15世紀は百年戦争イングランドアルマニャック派の抗争の場となり、1525年の農民反乱では反徒たちの中心地となった。三十年戦争では幾度も都市の所有者が交替した。ヴェストファーレン条約で、再びサヴェルヌはストラスブール司教のものとなった。1704年以降、ロアン家の司教公がサヴェルヌの城に居を定めた。普仏戦争後にドイツ帝国領となった。ドイツ軍が駐留するようになり地元住民と軋轢が生まれ、ツァーベルン事件が発生した。

1944年11月22日、フィリップ・ルクレール率いる第二機甲師団によって「解放」された。

交通

姉妹都市

関係者

出身者
居住その他ゆかりある人物

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