サックヴィル・レーン=フォックス (第12代コンヤーズ男爵)第12代コンヤーズ男爵および法律上の第15代ダーシー・ド・ネイス男爵サックヴィル・ジョージ・レーン=フォックス(英語: Sackville George Lane-Fox, 12th Baron Conyers and de jure 15th Baron Darcy de Knayth、1827年9月14日 – 1888年8月24日)は、イングランド貴族。 生涯サックヴィル・ウォルター・レーン=フォックスと妻シャーロット・メアリー・アン(Charlotte Mary Anne、旧姓オズボーン(Osborne)、1801年7月16日 – 1836年1月17日、第6代リーズ公爵ジョージ・オズボーンの娘)の息子として、1827年9月14日にロンドンで生まれ、27日に洗礼を受けた[1]。 1846年8月7日にロイヤル・ホース・ガーズのコルネット(騎兵少尉)としての辞令を購入し[2]、1849年12月28日に軽竜騎兵第13連隊に転じた後[3]、1850年4月に連隊から引退した[4]。 クリミア戦争中の1854年12月29日に第21歩兵連隊のエンサインとしての辞令を受け、イギリス陸軍に復帰した[5]。セヴァストポリ包囲戦で戦功を挙げて飾版つき記章(bar and clasp)を授与された[1]。1856年7月22日に第87歩兵連隊の中尉に昇進し[6]、1859年6月に連隊から引退した[7]。 1859年6月9日に母の兄にあたる第7代リーズ公爵フランシス・ダーシー=オズボーンが死去すると、コンヤーズ男爵位とダーシー・ド・ネイス男爵位を継承、コンヤーズ男爵として貴族院議員に就任した[1]。貴族院では保守党に所属した[1]。 1861年5月24日にコルネットとしてヨークシャー・フザール連隊に入隊したが[8]、9月に連隊から引退[9]、1863年5月19日にロイヤル・イースト・ケント・ヨーマンリー連隊の中尉に任命された[10]。 1888年8月24日にウォルマーで死去、29日に同地で埋葬された[1]。息子に先立たれたため、コンヤーズ男爵位とダーシー・ド・ネイス男爵位は娘2人の間で停止状態になった[1]。その後、コンヤーズ男爵位の停止状態は1892年6月8日に解消され、長女マーシア・アメリア・メアリーが継承した[1]。ダーシー・ド・ネイス男爵位の停止状態は1903年9月29日に解消され、次女ヴァイオレット・アイダ・イーヴリンが継承した[1]。 家族1860年8月14日、メアリー・カーティス(Mary Curteis、1921年11月12日没、レジナルド・カーティスの娘)と結婚、1男2女をもうけた[11]。
出典
外部リンク
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