兵装は"EARLY SPANISH STEAM WARSHIPS"[4]では砲3門、The Naval War of Pacific 1879-1884のチリ艦艇の表[5]では16口径163mm前装施条砲2門と20口径76mm前装施条砲1門、Ironclads at Warの1866年のチリ艦艇の表[6]では20ポンド施条砲2門と68ポンド滑腔砲2門、同書の太平洋戦争時の艦艇の表[7]では70ポンド前装砲2門、Andean Tragedyのチリ艦艇の表[8]では70ポンド砲2門と9ポンド砲2門、Ironclads in Actionの「エスメラルダ」との戦闘の個所[9]では68ポンド滑腔砲2門と32ポンド砲1門となっている。
カディスのArsenal de la Carraraで建造[1]。1858年2月13日起工[1]。1859年11月28日進水[1]。
1865年、スペインはチリと戦争になる。同年11月26日、コキンボ沖でチリのコルベット「エスメラルダ」がイギリスの旗と遭難信号を掲げて「コバドンガ」に接近[10]。停船した「コバドンガ」に対し「エスメラルダ」はチリの旗を揚げて攻撃を開始し、「コバドンガ」は降伏した[10]。「コバドンガ」では4名が死亡した[6]。この後、「コバドンガ」はチリ海軍で就役した[4]。1866年2月7日、Abtao島付近で「コバドンガ」やペルーのフリゲート「Apurimac」などからなるチリ・ペルー艦隊はスペインのフリゲート「Villa de Madrid」、「Reina Blanca」と交戦した[11]。
9月13日、Chancayの封鎖にあたっていた「コバドンガ」はランチと小型帆船各1隻を発見し、まずランチを破壊[29]。次いで艦長Pablo de Ferrariは放棄されていた帆船を艦に横付けさせることにした[30]。Pablo de Ferrariは2度その帆船を捜索させたが不審物は発見されず、彼は副長に帆船引き上げの監督を命じた[30]。その後、帆船の船首と船尾でいくつかの箱が見つかったが危険物ではないとされ、引き上げが命じられたが、その時帆船が爆発し、「コバドンガ」は沈没した[31]。艦長以下73名が死亡、49名が捕虜となり、15名が「ピルコマヨ」に救助された[32]。または艦長以下33名が死亡、48名が捕虜となり、29名が「ピルコマヨ」に救助された[1]。
Piotr Olender, The Naval War of Pacific 1879-1884: Saltpeter War, MMPBooks, 2020, ISBN 978-83-65958-77-8
Jack Greene, Alessandro Massignani, Ironclads at War: The Origin and Development of the Armored Warship, 1854-1891, Combined Publishing, 1998, ISBN 0-938289-58-6
William F. Sater, Andean Tragedy: Fighting the War of the Pacific, 1879-1884, University of Nebraska Press, 2007