ゲーリー・ジェスタッド
ゲーリー・アーサー・ジェスタッド(Garry Arthur Jestadt、1947年3月19日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身の元プロ野球選手(内野手)。 日本ハムでの登録名は「ジェスター」、大洋での登録名は「ゲーリー」。 来歴・人物フリモント高校を経て、1965年のMLBドラフト7巡目でシカゴ・カブスに指名され契約したが、カブスでのメジャー昇格は無かった。 1968年のエクスパンション・ドラフトでモントリオール・エクスポズに移籍し、1969年9月17日のメッツ戦(ジェリー・パーク)でゲイリー・ワセルスキーの代打としてメジャーデビューを果たした。結果はショートゴロであった。 1970年シーズン途中に古巣・カブスに移籍したが、同年のメジャー出場は無かった。 1971年にカブスでメジャー再昇格を果たしたが、カブスでは3試合に出場したのみで、同年シーズン途中にサンディエゴ・パドレスに移籍。パドレスでは75試合に出場した。 1972年には92試合に出場したが、1973年以降はメジャーでの出場機会は無かった。 1975年に日本ハムファイターズへ日本ハム球団初の外国人野手として入団。一塁手以外のすべての内野を守れるとのキャッチフレーズで、130試合に出場したが主軸としては長打力・確実性ともに欠け、同年オフに解雇された。 翌1976年は大洋ホエールズに移籍したが、同年限りで引退したクリート・ボイヤーの「俺の引退後の三塁は彼しかいない」の一言が大洋入団の決め手となった。移籍した1976年も一塁以外の全ての内野を守り、18本塁打と主砲としての活躍も見せるようになったが、確実性の向上は見られず、シーズン終了後に退団となった。 帰国後の1977年と1980年にサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下AAA級フェニックス・ファイアーバーズでプレーしたのを最後に現役を引退した。 詳細情報年度別打撃成績
記録
背番号
登録名
関連項目外部リンク
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