この項目では、ドイツ、ヘッセン州北部ヴァルデック=フランケンベルク郡の小都市について説明しています。その他の用法については「ゲミュンデン 」をご覧ください。
ゲミュンデン (ヴォーラ) (ドイツ語 : Gemünden (Wohra) , ドイツ語発音: [gəˈmʏndn̩] [ 2] ) は、ドイツ連邦共和国 ヘッセン州 ヴァルデック=フランケンベルク郡 に属す市である。
地理
位置
ゲミュンデンは、マールブルク の北東約 30 km に位置する。西はブルクヴァルト(中低山地)に接し、北はケラーヴァルトに連なる。町内をヴォーラ川が流れる。町内でホルツバッハ川がシュヴァインフェ川に、シュヴァインフェ川がヴォーラ川に注ぐ。
隣接する市町村
ゲミュンデンは、北はハイナ (クロスター) (ヴァルデック=フランケンベルク郡 )、東はギルザーベルク (シュヴァルム=エーダー郡 )、南はヴォーラタール (マールブルク=ビーデンコプフ郡 )、西はローゼンタール (ヴァルデック=フランケンベルク郡)と境を接する。
市の構成
本市は、エルンローデ、ゲミュンデン、グリューゼン、ヘルベルハウゼン、レーンハウゼン、シッフェルバッハ、ゼーレンの各地区からなる。
人口推移
1834年
1885年
1910年
1925年
1933年
1939年
1950年
1961年
2009年
ゲミュンデン中核市区
1,309[ 3]
1,315[ 3]
1,599
1.715[ 3]
1,781
1,753[ 3]
,.813[ 3]
2,351[ 3]
3,209
エルンローデ
77[ 4]
55[ 4]
54
47[ 4]
57
49[ 4]
74[ 4]
54[ 4]
39
グリューゼン
288[ 5]
328[ 5]
292
299[ 5]
303
290[ 5]
429[ 5]
336[ 5]
365
ヘルベルハウゼン
148[ 6]
126[ 6]
134
127[ 6]
126
107[ 6]
171[ 6]
117[ 6]
92
レーンハウゼン
166[ 7]
164[ 7]
128
135[ 7]
133
144[ 7]
218[ 7]
130[ 7]
110
シッフェルバッハ
356[ 8]
335[ 8]
336
298[ 8]
326
321[ 8]
455[ 8]
344[ 8]
296
ゼーレン
272[ 9]
224[ 9]
239
225[ 9]
270
250[ 9]
365[ 9]
250[ 9]
257
合計
2,616
2,547
2,742
2,846
2,846
2,921
4,525
3,582
4,364
歴史
ゲミュンデンは、7つの村落から形成された。ホルツバッハ、ギーベリングスバッハ、ブルクハルツハウゼン、エルンストドルフ、シュタイガースハウゼン、オスターバッハ、カッツバッハである。
1655年に出版されたマテウス・メーリアン の銅版画に描かれたゲミュンデン
最初にこの街が記されているのは、750年 から779年 の史料で、"Zegemunde" という名で記録されている。2度目の文書記録は、1223年 になされている。1253年 にゲミュンデンは初めて「市」として記述されている。当時ゲミュンデンはツィーゲンハイン伯領に属していた。これは市の紋章にも示されている。市の紋章には、白地に赤い爪を持つ、頭部がヤギ (Ziege = ツィーゲ)の姿をした雄の鳥(Hahn = ハーン)が描かれており、その翼の下には6つの突起がある星形(ツィーゲンハイン伯家の紋章に用いられている意匠)が2つ描かれている。
ゲミュンデンは、1450年 にヘッセン方伯 領となり、その後ツィーゲンハイン伯家は断絶した。
この街は16世紀 に最盛期を迎えた。1523年 に大きな泉が造られ、1541年 に学校が設立され、1564年 にマルクト広場に面した市役所が建設された。さらに1587年 には木管を用いた上水道が整備された。この頃にユダヤ人墓地も造営された。この墓地は、たとえばローゼンタールなどの、近隣のユダヤ人コミュニティもこれを利用した。
17世紀 および18世紀 の戦争の時代は、興隆した文化生活を破壊しただけでなく、厳しい犠牲を強いた。ペスト は住民の 2/3 を奪い去った。三十年戦争 や七年戦争 での軍の駐屯や金銭要求で、市民は最悪の状態となった。
ナポレオン によるヴェストファーレン王国 時代、この街はカントン・ゲミュンデ(ゲミュンデ小郡)の首邑となった。
1866年 の普墺戦争 後、ゲミュンデンは旧ヘッセン=カッセル選帝侯 領とともにプロイセン王国 のヘッセン=ナッサウ州に編入された。
旧ゲミュンデン駅
1909年 から1914年 までにヴォーラタール鉄道が建設され、水道管理協会が組織され(ゲミュンデンに新たな近代的な水道が整備された)、新しい学校が創建された。ゲミュンデンおよびアルテンハイナ、ハルゲハウゼン、ボッケンドルフ、ゼーレン、グリューゼンへの水の供給は、1910年 から1911年 にゲミュンデン=ブンストルート水道管理協会によってキルシュガルテンの水源からゲミュンデンまで建設された水道を通して行われた。1967年 にはキルシュガルテン・ポンプ場が設けられた[ 10] 。
1972年 に鉄道の旅客営業が廃止された。1980年 から1981年 にかけての冬に貨物運行も停止され、軌道施設が撤去された。駅舎は現在も遺されており、ヘッセン文化財保護法に基づき文化財に指定されてレストランとして利用されている。
1974年 1月1日、ヘッセン州の地域再編に伴い、旧マールブルク郡のシッフェルバッハがゲミュンデン市に合併した。
行政
議会
ゲミュンデンの市議会は、23議席からなる[ 11] 。
姉妹都市
参考文献
Georg Dehio/Ernst Gall/Magnus Backes: Handbuch der deutschen Kunstdenkmäler. Hessen , 2. Auflage Sonderausgabe Darmstadt 1982. pp. 328-329.
Erich Keyser: Hessisches Städtebuch , Stuttgart 1957. pp. 187-189.
Rudolf Knappe: Mittelalterliche Burgen in Hessen , 3. Auflage Gundensberg-Gleichen 2000. p. 143.
これらの文献は、翻訳元であるドイツ語版の参考文献として挙げられていたものであり、日本語版作成に際し直接参照してはおりません。
引用
外部リンク