ケンタッキーの我が家ケンタッキーの我が家(英: My Old Kentucky Home)は、スティーブン・フォスター作詞・作曲の歌曲で、アメリカ合衆国ケンタッキー州の州歌として採用されている。日本ケンタッキー・フライド・チキンのCMソングでもある。 概要ケンタッキーの我が家は、1852年に スティーブン・フォスター(Stephen Foster)によって作詞・作曲され、1853年に出版された。1928年3月19日には公式州歌としてケンタッキー州議会により採用される。 州北部の町バーズタウンにあるフォスターの従兄弟で法律家のジョン・ローアンの家が、この「我が家」のモデルといわれる。しかし、フォスターがその時期に彼の家を訪れたという証拠がなく、これを疑問視する声もある。「ケンタッキー」の名称の採用は「故郷の人々(スワニー河)」と同様に語呂の良さで選んだのではないかとする説もある。1852年には、黒人奴隷問題に大きな影響を与えた「アンクル・トムの小屋(Uncle Tom’s Cabin)」が出版されており、作曲の動機になったのではないかとの説も有力である。 この曲は、ケンタッキーダービーの際に毎年伝統的に、ルイビル大学のマーチングバンドの演奏に合わせて歌われる。1982年からはスティーブンフォスターハンデキャップという競馬の競走が行われている。 また、ケンタッキー・フライド・チキンのCMソングとしても有名である。 歌詞の変容オリジナルの歌詞では奴隷プランテーションの描写を含んでいたため、1970年代から歌詞はよく言い換えられた。1986年3月11日に、訪米中の[日本]の生徒集団がケンタッキー州議会を訪れ、オリジナルの歌詞を使って州歌を歌って、黒人議員が憤慨したという事件もあったのは[1]、州議会によって(州歌としては)歌詞の一節の変更が提案されていて、後に成立した。[2] 歌詞原詞The sun shines bright in the old Kentucky home, 繰り返し: The young folks roll on the little cabin floor 繰り返し
* 元の歌詞では「darkies」(黒人への当時の呼称で、現在は差別的とされる) 訳詞懐かしいケンタッキーの家は日差しで明るく輝いている これ以上泣かないで、私のお嬢さん 子供達は小屋の床を楽しそうに転げ回る
繰り返し:
日本語版著作権保護のため、本項には記載しないが、日本語版も存在する。この日本語版は、緒園凉子が作詞し、藤山一郎が歌ったことがある(1954年の「第5回NHK紅白歌合戦」でも歌われた)。(津川主一が作詞したものも存在する。) 脚注
関連項目
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