グーカン・サキ
グーカン・サキ(本名: ギョクハン・サキ Gökhan Saki、1983年10月18日 - )は、トルコの男性キックボクサー、総合格闘家。オランダ・南ホラント州スヒーダム出身。マイクスジム所属。元GLORY世界ライトヘビー級王者。 K-1初参戦のアムステルダム大会ではゴクハン・サキ(トルコ語元来の発音に近い表記)、ゴーカン・サキと表記されていたが、2007年のK-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMAからはグーカン・サキと表記されるようになった。 来歴オランダ・スヒーダムでトルコ人移民の両親のもとに生まれ、ブルース・リーやジャン=クロード・ヴァンダムの映画の影響で幼少期から格闘技に興味を持っていた。友人らに影響される形でキックボクシングを始め、11歳の頃から本格的に訓練を行なうようになった。家庭の事情から14歳で学校を辞め、キックボクシングと平行して学んでいたサッカーを16歳の時に中断。以来キックボクシング一本とした[1]。 2006年5月13日、K-1 WORLD GP 2006 IN AMSTERDAMにてK-1初参戦。EUROPE GPのリザーブファイトでラニ・ベルバーチに判定勝ち、その後メルヴィン・マヌーフの負傷棄権により準決勝でアレクセイ・イグナショフを終始攻め続け判定勝ち、決勝ではビヨン・ブレギーに1RKO負け。準優勝となった。 2007年3月4日、K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMAでは天田ヒロミをローキックで攻め続け、2RTKO勝ちを収めた。 2007年11月2日、K-1 Turkey Grand Prix 2007 in Istanbulでマゴメド・マゴメドフと対戦。1Rに左ストレートでダウンを奪い判定勝ち。試合直後にマゴメドフの足を蹴ったことから、双方のセコンドを巻き込んだ大乱闘騒ぎを起こした。 2008年5月31日、Beast of the Eastでイワン・ジェーンと対戦し、1RKO勝ち。 2008年8月9日、K-1 WORLD GP 2008 IN HAWAIIのUSA GPに出場。1回戦でドゥシュ・プーに1RKO勝ち、準決勝でリック・チークに1RKO勝ち、決勝でランディ・キムに2RKO勝ちし優勝を果たし、グランプリ出場を決めた。 2008年9月27日、K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16でレイ・セフォーと対戦し、判定勝ち。 2008年12月6日、K-1 WORLD GP 2008 FINALの準々決勝ではルスラン・カラエフと対戦。バックハンドブローでダウンを奪い判定勝ち。準決勝でレミー・ボンヤスキーにKO負け。 2009年3月28日、K-1 WORLD GP 2009 IN YOKOHAMAの第2代K-1ヘビー級王者決定トーナメントに出場。1回戦でタイロン・スポーンと互角の接戦を繰り広げて延長戦の末にKO勝ちする。続く決勝では1回戦を1RKO勝ちしてきた前田慶次郎(藤本京太郎)と対戦し、スポーン戦でダメージを負った足を攻められ、延長戦で0-2の判定負けを喫した。 2009年8月2日、K-1 WORLD GP 2009 IN SEOUL -ASIA GP-のスーパーファイトでパベル・ズラフリオフと対戦。1R途中で脚を負傷し自らダウン。その後、3Rを戦い抜いたが、ダウンが影響する形で判定負けとなった[2]。この負傷の影響で前年ベスト8で出場権利のあった開幕戦出場を辞退した[3]。 2009年12月5日、K-1 WORLD GP 2009 FINALのリザーブファイトでピーター・アーツに右ストレートでダウンを奪われ0-3の判定負け。 2010年5月29日、IT'S SHOWTIMEでメルヴィン・マヌーフと対戦し、KO勝ちした。 2010年10月2日、K-1 WORLD GP 2010 IN SEOUL FINAL16に推薦枠として出場。フレディ・ケマイヨと戦い、1RKO勝ち。2週間後の10月16日、United GLORYのKickboxing World Series 2010-2011の1回戦でニコライ・ファリンと対戦し、左ボディフックでKO勝ちを収めた[4]。 2010年12月11日、K-1 WORLD GP 2010 FINALの準々決勝でダニエル・ギタと対戦し、両者ともに死力を尽くす壮絶な死闘となり、延長戦の末に判定勝ち。続く準決勝でアリスター・オーフレイムと対戦し、試合開始早々に右バックキックでダウン気味のスリップを奪うが、ギタ戦で既に痛めていた右腕に左ミドルキックを浴びて右肘を骨折し、1RKO負け。 2011年3月19日、United GLORYのKickboxing World Series 2010-2011の2回戦でウェンデル・ロチェに判定勝ち。 2011年5月28日、United GLORYのKickboxing World Series 2010-2011の決勝戦でブリース・ギドンに判定勝ちで優勝。 2012年1月28日、It's Showtime 55にてバダ・ハリのキックボクシング引退試合の相手を務め、1RTKO負け。 その後、所属するジムをゴールデン・グローリーからマイクスジムに移籍。 5月26日、GLORYの正式な旗揚げ戦となったGLORY 1 Stockholmでカーター・ウィリアムスに1RKO勝ち[5]。 10月6日、GLORY 2 Brusselsにてムラッド・ボウジディに判定勝ち[6]。 12月31日、DREAM.18 & GLORY 4でのGLORY GRAND SLAM ヘビー級世界トーナメント 2012に参戦し、1回戦で羅王丸に1RKO勝ち。2回戦でアンダーソン・ブラドック・シルバに1RKO勝ち。準々決勝でセミー・シュルトと対戦し、大巨人シュルトとの圧倒的な体格差をものともせずに勇猛果敢に攻め込んでシュルトを追い詰めるも僅差の判定負け。敗れはしたものの、試合後に観客からスタンディングオベーションを浴びて善戦を称えられた[7]。 2013年4月6日、GLORY 6 Istanbulにてダニエル・ギタと再戦し、2RTKO勝ち[8]。 10月12日、GLORY 11 ChicagoのGLORYヘビー級世界トーナメント1回戦にてリコ・ベホーベンと対戦し、開始早々のサキのスリップをレフェリーがダウンと裁定。サキはレフェリーを突き飛ばして抗議するが裁定は覆らず、その後は互角の戦いを繰り広げたものの、ダウンが響いて番狂わせの0-2の判定負け。 2014年になるとオランダからドバイへと移住。 4月21日、階級を95kg以下のライトヘビー級に落として、GLORY 15 IstanbulでのGLORY世界ライトヘビー級トーナメント2014に参戦し、1回戦でネイサン・コーベットに1RTKO勝ち。決勝でタイロン・スポーンと対戦し、スポーンの右ローキックを膝でブロックすると、スポーンが右脛を骨折し、TKO勝ちで優勝を収めた。スポーンの異変に気付いたサキは優勝を喜ぶよりも骨折したスポーンを真っ先に抱きかかえて励まして気遣かった[9]。 2017年9月23日、UFC初参戦となったUFC Fight Night: Saint Preux vs. Okamiでルイス・エンリケ・ダ・シウバと対戦し、逆転KO勝ちを収めた。この試合でパフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2018年7月6日、UFC 226でカリル・ラウントリー・ジュニア対戦し、パウンドで1RTKO負けを喫した。 2021年2月10日、UFCからリリースされた。 人物・エピソード
戦績キックボクシング
総合格闘技
獲得タイトル
脚注
関連項目外部リンク
戦績等
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