グレッグ・ハンスフォード
グレッグ・ハンスフォード(Gregg Hansford、1952年4月4日 - 1995年3月5日)は、オーストラリア出身の元オートバイレーサーである。2輪レース引退後は4輪のツーリングカーレースでも活躍した。 略歴ハンスフォードは、1973年にオーストラリア選手権で500ccと無制限クラスのタイトルを獲得した後、ヨーロッパに渡ってカワサキのファクトリー・チームからロードレース世界選手権に参戦を開始した。 1978年に250ccクラスでランキング2位、350ccクラスではランキング3位を獲得し、翌1979年にも同じく250ccクラスと350ccクラスでそれぞれランキング2位、3位となった[1]。1980年には鈴鹿8時間耐久レースに出場し、エディ・ローソンとのペアで2位に入る活躍を見せた[2]。 1981年、スパ・フランコルシャンで開催されたベルギーグランプリでクラッシュ、この時の大怪我によりオートバイレースからの引退を余儀なくされた。グランプリ通算10勝は、オーストラリア人としては歴代4位[3]の記録である。 2輪レース引退後、4輪のツーリングカーレースに転向。アラン・モファットと組んでマツダ・RX-7で出場した1984年のオランパーク250が、ビッグレースでの初勝利である。モファットとは1987年のニュージーランド500(サンダウン・レースウェイ)でも再びコンビを組んで優勝している。 1993年のジェームズ・ハーディー12時間(バサースト)ではRX-7に乗ってチャーリー・オブライエンとのコンビで2位、翌1994年の同大会ではニール・クロンプトンと組んで再びRX-7で出場して優勝した。これらの走りが認められ、ホールデン・VPコモドアのドライバーとしてV8スーパーカーシリーズとオーストラリア・スーパーツーリング選手権に出場。ラリー・パーキンスとのペアで1993年のバサースト1000に優勝、1994年のバサースト1000では3位、1994年のサンダウン500でも3位という成績を残した。 1993年のバサーストでの勝利によって、ハンスフォードは「マウント・パノラマ・サーキットで2輪と4輪の両方で勝利する」という珍しい記録を残した。 事故死1995年、フィリップ・アイランドでのスーパーツーリングレースに出場していたハンスフォードのフォード・モンデオは、高速でスリップしてコースアウト、タイヤバリアにヒットした。マシンがコースに跳ね返されたところにマーク・アダートンのプジョー・405が200km/h以上のスピードで激突した。この事故でハンスフォードは死亡。ほぼ即死の状態だった。 現在、遺されたハンスフォードの二人の息子たちも、それぞれモータースポーツの世界に足を踏み入れている。 主な戦績ロードレース世界選手権
鈴鹿8時間耐久オートバイレース
全日本ツーリングカー選手権
デイトナ24時間レース
バサースト12時間レース
脚注
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