グレグ・ルーゼドスキー
グレゴリー・"グレグ"・ルーゼドスキー(Gregory "Greg" Rusedski、1973年9月6日 - )は、イギリスの男子プロテニス選手。1997年全米オープン男子シングルス準優勝者。ATPランキング自己最高位はシングルス4位、ダブルス63位。ATPツアーでシングルス15勝、ダブルス3勝を挙げた。身長193cm、体重90kg。バックハンド・ストロークは片手打ち。 カナダ・ケベック州モントリオール出身であり当初はカナダ国籍でツアーに登録していたが、1995年5月にイギリス国籍を取得し、その後はイギリス国籍でツアーを回った選手である。現在はロンドン市内に在住している。左利きのビッグ・サーバーで、サーブの速度では世界最速を競う選手のひとりであった。日本語メディアでは「グレッグ・ルゼドスキー」「グレグ・ルゼドスキー」「グレッグ・ルーゼドスキー」等の表記揺れも見られる。 選手経歴ルーゼドスキーの父親はウクライナ系カナダ人で、母親はカナダに移住したイギリス人である。1991年にプロ入りし、1993年7月にテニス殿堂選手権でツアー初優勝を果たす。1995年5月にイギリス国籍を取得し、男子テニス国別対抗戦デビスカップイギリス代表としてプレーするようになった。 1997年ウィンブルドン選手権で初めてのベスト8進出を果たす。1回戦で第7シードのマーク・フィリプーシスとのビッグ・サーバー対決を制したルーゼドスキーは、その勢いに乗って勝ち進み、一気にセドリック・ピオリーンとの準々決勝まで進出した。同年の全米オープンでは、8月31日にパリで交通事故死したダイアナ元皇太子妃の喪章を着けてプレーしたことが大きな話題を呼んだ。イギリス国民の応援を受けて勝ち進んだ決勝戦で、ルーゼドスキーはパトリック・ラフターに3-6, 2-6, 6-4, 5-7で敗れ、1936年のフレッド・ペリー以来となるイギリス人選手としての全米優勝を果たすことはできなかった。 その後の4大大会成績は、1999年全仏オープンと2001年全豪オープンでの4回戦進出がある。オリンピックのイギリス代表選手としても、1996年アトランタ五輪と2000年シドニー五輪の2度出場した。アトランタではセルジ・ブルゲラとの3回戦まで進出したが、シドニーでは1回戦でフランスのアルノー・クレマンに敗れている。 ルーゼドスキーは2004年と2005年にテニス殿堂選手権で2連覇を果たし、男子ツアー大会でのシングルス優勝を15勝に伸ばしたが、2005年テニス殿堂選手権が彼の最後のツアー優勝になった。最後の4大大会出場になった2006年全米オープンでは、ルーゼドスキーは1回戦で同僚選手のティム・ヘンマンに6-7, 2-6, 3-6のストレートで完敗している。デビスカップ2007ヨーロッパ・アフリカゾーン・グループ1の2回戦で若手のアンディ・マリーと組んだダブルス戦に勝利した後、ルーゼドスキーは33歳で現役引退を表明した。 ATPツアー決勝進出結果シングルス: 27回 (15勝12敗)
ダブルス: 5回 (3勝2敗)
4大大会シングルス成績
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
外部リンク
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