グラント・パーク (シカゴ)
グラント・パーク(英: Grant park)は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴのループ地区にある公園。129haの広さがあり、ミレニアム・パーク、バッキンガム噴水、シカゴ美術館で有名。シカゴの「前庭」と呼ばれる。 北はランドルフ・ストリートから南はルーズベルト・ストリートまでの13ブロック、西はミシガン・アベニューから東はレイクショア・ドライブまでの2ブロックの区域を占める。 歴史初期の都市計画では、ミシガン・アベニュー以東の区域は分割されずに空き地のまま残されることとなっており、同区域が今後私有されないことがミシガン・アベニュー沿いの土地購入者には約束されていた。旧ディアボーン砦が市所有となった1839年には、ミシガン・アベニューの東側でランドルフ・ストリートの南側の区画は「公有地、永久に空き地」と記録されていた。 1844年4月29日、シカゴ市は当地を公園とすることを公式に決定し、「レイク・パーク(Lake Park)」と命名。 イリノイ・セントラル鉄道がシカゴに開通した1852年、同鉄道はミシガン湖の湖岸に敷設を認められたが、これは湖にコーズウェー(土手道)を設けてのものだった。その結果出来た沼地が澱んだため、1871年に大規模な埋立てが、同年のシカゴ大火で生じた瓦礫によって行われた。 1896年には、シカゴ市はグラント・パーク拡大のためミシガン湖の埋立てを開始した[1]。 1901年10月9日、グラント・パークに改名。南北戦争の将軍で第18代大統領でもあるユリシーズ・グラント(イリノイ州ガリーナに在住していた)を称えてのことである。 建築を禁止した法規制は無視され、官庁の建物がいくつも建設された他、1870~80年代にはシカゴ・カブスの前身となる球団の本拠地球場が北西角にあった。 ダニエル・バーナムによる1909年のシカゴ都市計画では、図書館や博物館を含む文化センターをグラント・パーク中心部に設けることとされた。これに反対したシカゴの実業家アーロン・ワード(Aaron Montgomery Ward)は、開発中止を求めて4度も裁判を戦った。ワードが唯一同意したのは1892年建設のシカゴ美術館である。 20世紀初頭には、シカゴ・トンネル会社の掘削土を用いた埋立てにより、グラント・パークは更に拡大し、またエドワード・ベネットによる極めてフォーマルな配景デザインを元に開発が進んだ。 1910年代・20年代の埋立てにより、アドラー・プラネタリウムやフィールド自然史博物館、シェッド水族館の用地が埋め立てられ、これは後のミュージアム・キャンパスとなる。 2004年、かつてイリノイ・セントラル鉄道のレール置場・車両基地だったグラント・パーク北部が再開発されミレニアム・パークが完成した。 主な出来事![]() イベントグラント・パークで行われる大規模イベントには、以下のものがある。
主な施設![]() ![]() ![]() ![]() ミレニアム・パーク→詳細は「ミレニアム・パーク」を参照
デイリー二百年祭プラザシカゴ美術館→詳細は「シカゴ美術館」を参照
バッキンガム噴水
ミュージアム・キャンパス→詳細は「ミュージアム・キャンパス」を参照
その他
脚注
外部リンク |
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