グラノリェース
グラノリェース(Granollers)は、スペイン・カタルーニャ州バルセロナ県のムニシピ(基礎自治体)。バルセロナの北約26kmの距離にある。 バルセロナの北に位置するバリェス・ウリアンタル郡の郡都である。グラノリェースはバルセロナ都市圏に含まれるが、カノベーリャス、フランケサス・ダル・バリェスなどの近隣の小都市と共に地域都市圏を形成し、その中心都市として機能している。主な産業は製造業とサービス業である。 地理グラノリェースはカタルーニャ沿岸盆地のなだらかな平地に位置する。 歴史ローマ時代の廃墟跡が市内には確認されているが、グラノリェースの名前が歴史に登場したのは中世に入ってからである。 中世13世紀から15世紀の間、キリスト教会、ロカの領主及びアラゴン王家の間でグラノリェースの土地の権利をめぐって争いが続いた。最終的にはアラゴン王アルフォンソ4世が1万フローリンを払うことで決着がつき、それ以降王家の領土となった。しかし、1462年-1472年にはフアン2世の君主制支持者と共和制支持者との対立から内紛が起こった。この対立は君主制支持で落ち着いたが以降も内紛は絶えなかった。 近代化16世紀には市制は安定し産業や人口増加などの繁栄を迎えた。この時期には多くの建物が建設された。この時代の建築物にはゴシック様式のサン・テステベ教会などがある。しかし、この繁栄期も長くは続かず、1640年 - 1659年のカタルーニャ反乱、1808年 - 1814年のナポレオン・ボナパルト軍によるスペイン独立戦争、さらには1875年の第三次カルリスタ戦争など再び紛争が続いた。 スペイン内戦19世紀後半、鉄道敷設、道路整備を機に産業革命の波がグラノリェースにも押し寄せ、製造業が盛んになり、再び繁栄期を迎えた。その後、第二共和政など社会的、政治的な変化の過程を経ながら、スペイン内戦に突入した。内戦による被害は多大で、特に1938年5月31日のドイツ・イタリア軍による空爆は多くの死者と町の破壊をもたらした。 現在内戦復興後は移民流入により都市が発展した。その一方、1960年代の繊維危機には他産業への転換が進んだ。1991年には2つの主要なスポーツ施設(カタロニア・サーキットとグラノリェース運動競技場)が開設された。 文化
市内の施設・行事
周辺の施設
出身人物
ギャラリー
外部リンク脚注
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