1944年9月2日、ヴヴェイに生まれる。1962年にローザンヌの高校 (Gymnase de Lausanne) を卒業後、ローザンヌ大学で物理学を学び、1970年に学士号を取得[1]。その後、1970年から1973年まで、大学の天文学研究所とジュネーブ天文台で研究を行い、1975年にジュネーブ大学から天体物理学の修士号を取得。並行して、1966年にスイス空軍のパイロットとなり、第5飛行隊でホーカー ハンターに搭乗。ジェット機で4000時間を含む5600時間の飛行経験を持つ。1988年にイギリスの帝国テストパイロット学校を卒業[1]。
2004年にスイス連邦工科大学ローザンヌ校で教え始め、2007年3月に教授となった。
宇宙飛行士としてのキャリア
非常勤での学術研究と並行して、チューリッヒのSwiss Air Transport Schoolに通い、1974年に航空会社のパイロットとなり、スイス航空のマクドネル・ダグラス DC-9に乗った。1976年末に、ノールドワイクにあるESAの宇宙科学部門のフェローとなり、様々な空中赤外線天文学プログラムに携わった。1978年7月、ESAにより、ヨーロッパ人宇宙飛行士の最初のグループの1人に選ばれた。ESAとアメリカ航空宇宙局 (NASA) の合意の下、1980年5月にNASAの宇宙飛行士候補に選ばれ、ミッションスペシャリストとして訓練を受けた[1]。
NASAでは、シャトル・アビオニクス統合施設での飛行ソフトウェアの検証、テザー推進衛星の回収手法の開発、シャトル・リモート・マニピュレータ・システムや国際宇宙ステーションのロボットのサポート等の業務が割り当てられた。1996年春から1998年末まで、Astronaut Office Robotics Branchの長を務めた。2000年以降は、ヒューストンのLead ESA Astronautの地位にありながらAstronaut Office Extravehicular Activity Branchに配属された。ニコリエは、2007年4月にESAを退職した[1]。
彼は、スイス天文学会、太平洋天文学会、Swiss Air Force Officers Society (AVIA) 及びSwiss Academy of Engineering Sciencesの会員であり、英国惑星間協会のフェローである。また、Swiss Aero Club、Swiss Society of Engineers and Architects、Swiss Astronomy Day Societyの名誉会員である。
宇宙飛行士を退職後、2011年にカナリア諸島で行われたスタームス・フェスティバルで、彼は“Revisiting Hubble,”(ハッブルへの再訪)と題する講演を行い、自身の経験を伝えた。この講演は、Starmus: 50 Years of Man in Spaceと題した書籍として出版されている[6]。