クロフォード伯爵 兼 バルカレス伯爵
紋章記述
Arms :Quarterly: 1st and 3rd, Gules a Fess checky Argent and Azure (Lindsay); 2nd and 3rd, Or a Lion rampant Gules debruised of a Riband in bend Sable (Abernethy) Crest :Out of an Antique Ducal Coronet a Swan's Neck and wings proper Supporters :On either side a Lion guardant Gules
創設時期 1398年 4月21日 創設者 ロバート3世 貴族 スコットランド貴族 初代 デイヴィッド・リンジー 現所有者 アンソニー・リンジー (英語版 ) 相続人 ベルニール卿アレグザンダー・リンジー 相続資格 譲受人の直系の男系男子(heirs male heirs of the body of the grantee) 付随称号 クロフォードのリンジー卿 リンジー=ベルニール卿 ヘイグ・ホールのウィガン男爵 モットー Endure Fort (Suffer bravely)
クロフォード伯爵 (英語 : Earl of Crawford )は、スコットランド貴族 の伯爵 位。
デイヴィッド・リンジー が1398年 に叙されたのに始まる。
歴史
バンフ のシェリフ やスコットランド海軍司令長官 等の官職を務め、1397年 に従兄弟からクロフォード (英語版 ) 領主の地位を相続したデイヴィッド・リンジー (-1407) は、1398年 4月21日 にスコットランド王 ロバート3世 の勅許状 でスコットランド貴族 クロフォード伯爵 に叙された[ 1] [ 2] 。
その曾孫である4代伯アレグザンダー (-1453) は、ブレッチンの戦い で国王に反旗を翻したが、敗れている[ 3] 。
その長男である5代伯デイヴィッド (1440–1495) は、スコットランド王ジェイムズ3世 の寵臣としてスコットランド海軍卿や宮内長官 (英語版 ) 等を歴任し、1488年 5月18日 のジェイムズ3世の勅許状でスコットランド貴族モントローズ公爵 (Duke of Montrose)に叙されたが、ソーキバーンの戦い でジェイムズ3世に与したため、同王敗死後の同年10月17日に制定された取り消し法 (Rescissory Act) によってこの叙爵を取り消された。しかし1489年 9月19日 に再度モントローズ公爵の叙爵を受けた[ 1] [ 4] 。
取り消し法は1504年 3月に廃止されたので最初のモントローズ公爵位も有効であるとする説があるが[ 4] 、後世に第7代バルカレス伯爵ジェイムズ・リンジー が1848年 の貴族院 の決定で24代クロフォード伯爵を継承したとき、一緒に請求していたモントローズ公爵位の継承を認められなかったので、モントローズ公爵位は5代伯一代で終わったという扱いになっている[ 1] [ 5] 。
8代伯デイヴィッド (-1542) の長男アレグザンダー (-1542) は、父殺し (英語版 ) で有罪となったため、スコットランド法に基づき、爵位継承資格が失われた。そのため、9代伯は3代伯デイヴィッド (-1445) からの分流であるデイヴィッド・リンジー (-1558) が継承した[ 1] 。しかし1546年5月に爵位をアレグザンダーの遺児に返すことが国王より認められた。これにより彼の死後、アレグザンダーの遺児デイヴィッド・リンジー (-1574) が10代伯を継承した[ 1] 。
16代伯ルドヴィック (-1652) は清教徒革命 に際して王党派 として参戦して敗れ、大陸に亡命した[ 1] 。そのため1644年 のスコットランド議会の議決により初代伯の祖父サー・デイヴィッド・ド・リンジー (1314-1355) に遡っての分流であるジョン・リンジー (1598頃–1678) が17代伯と宣言された。彼はその前の1616年 7月9日 に父から第10代バイレスのリンジー卿 (Lord Lindsay of the Byres) を継承しており、1633年 5月8日 にはリンジーの名前と紋章を受け継ぐ男系男子への特別継承を規定したスコットランド貴族爵位パーブロース卿 (Lord Parbroath) とリンジー伯爵 (Earl of Lindsay) に叙せられていた[ 1] [ 6] 。
子供のない20代伯ジョン (1702–1749) の死去に際して17代伯に遡っての分流である4代ガーノック子爵ジョージ・リンジー=クロフォード (1723–1781) が21代伯を継承した。この家系は「クロフォード」[ 7] 、ついで「リンジー=クロフォード」に家名を改姓し[ 8] 、ガーノック子爵 (Viscount Garnock) とキルバーニー=ドラムリー卿 (Lord Kilbirny and Drumry) を継承していた[ 1] [ 9] 。
1808年 に22代伯ジョージ (1758–1808) が子供無く死去したことで17代伯(初代リンジー伯)からの男系男子はすべて絶え、クロフォード伯位は休止 (dormant) となった。しかし40年後の1848年 8月11日 の貴族院の決定により、「クロフォード伯位は22代伯の死後に分流の6代バルカレス伯アレグザンダー・リンジー (1752–1825) が23代伯を継承し、彼の死後、その息子ジェイムズ (1783–1869) が24代伯を継承している」と認定された[ 1] [ 10] [ 11] 。
このバルカレス伯爵リンジー家は爵位を本家に返した9代伯の子孫であり、1633年 6月27日 にバルカレスのリンジー卿 (Lord Lindsay of Balcarres)、1651年 1月9日にバルカレス伯爵 (Earl of Balcarres)とリンジー=ベルニール卿 (Lord Lindsay and Balneil) に叙せられていた家柄だった(いずれもスコットランド貴族)[ 12] 。
また24代伯はクロフォード伯位継承前、バルカレス伯爵位継承の翌年の1826年 7月5日 の勅許状で連合王国貴族 爵位ランカスター州におけるヘイグ・ホールのウィガン男爵 (Baron Wigan, of Haigh Hall in the County of Lancaster) に叙されているので彼以降の当主は自動的に貴族院議員 に列した[ 1] [ 13] 。
26代伯ジェイムズ (1847–1913) は天文学者として活躍した[ 14] 。
27代伯デイヴィッド (英語版 ) (1871–1940) は、保守党 の政治家として第一次世界大戦 中から戦後にかけての挙国一致内閣 (アスキス 内閣とロイド・ジョージ 内閣)で閣僚職を歴任した[ 1] [ 15] 。
29代伯ロバート (1927-) は襲爵前に保守党の庶民院議員を務め、1975年 1月24日 に一代貴族 ファイフ州におけるピットコーシーのベルニール男爵 (Baron Balniel, of Pitcorthie in the County of Fife) に叙せられた。そして同年12月13日 の父の死によりクロフォード伯爵位以下の世襲爵位を継承している。襲爵後の1992年 から2002年 にかけてエリザベス皇太后 の宮内長官 (英語版 ) を務めている[ 1] [ 16] 。
現在の当主はその息子アンソニー (英語版 ) である[ 17] 。
爵位に対するモットー は『勇気をもって損をせよ(Endure Fort) 』[ 1] 。
現当主の保有爵位
現当主アンソニー・リンジー (英語版 ) は、以下の爵位を保持している[ 17] 。
第30代クロフォード伯爵 (30th Earl of Crawford)
(1398年 4月21日 の勅許状によるスコットランド貴族 爵位)
第13代バルカレス伯爵 (13th Earl of Balcarres)
(1651年 1月9日 の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
バルカレスの第14代リンジー卿 (14th Lord Lindsay of Balcarres)
(1633年 6月27日 の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
第13代リンジー=ベルニール卿 (13th Lord Lindsay and Balneil)
(1651年 1月9日 の勅許状によるスコットランド貴族爵位)※法定推定相続人 はベルニール卿を儀礼称号 とする
ランカスター州におけるヘイグ・ホールの第7代ウィガン男爵 (7th Baron Wigan, of Haigh Hall in the County of Lancaster)
(1826年 7月5日 の勅許状による連合王国貴族 爵位)
クロフォード伯 (1398年)
系譜図
脚注
出典
^ a b c d e f g h i j k l m Heraldic Media Limited. “Crawford, Earl of (S, 1398) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2016年3月26日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “David Lindsay, 1st Earl of Crawford ” (英語). thepeerage.com . 2016年3月26日 閲覧。
^ "Lindsay, Alexander (d.1454)" . Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co . 1885–1900.
^ a b Lundy, Darryl. “David Lindsay, 1st Duke of Montrose ” (英語). thepeerage.com . 2016年3月26日 閲覧。
^ この記述にはアメリカ合衆国 内で著作権が消滅した 次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh , ed. (1911). "Montrose, Marquesses and Dukes of" . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 18 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 793.
^ Lundy, Darryl. “John Lindsay, 17th Earl of Crawford ” (英語). thepeerage.com . 2016年3月29日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Hon. Patrick Crawford ” (英語). thepeerage.com . 2016年3月29日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “John Lindsay-Crawford, 1st Viscount Garnock ” (英語). thepeerage.com . 2016年3月29日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “George Lindsay-Crawford, 21st Earl of Crawford ” (英語). thepeerage.com . 2016年3月29日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Maj.-Gen. George Lindsay-Crawford, 22nd Earl of Crawford ” (英語). thepeerage.com . 2016年3月29日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “General Alexander Lindsay, 6th Earl of Balcarres ” (英語). thepeerage.com . 2016年3月29日 閲覧。
^ Heraldic Media Limited. “Balcarres, Earl of (S, 1650/1) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2016-03-30 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “James Lindsay, 24th Earl of Crawford ” (英語). thepeerage.com . 2016年3月29日 閲覧。
^ "Lindsay; James Ludovic (1847 - 1913); 26th Earl of Crawford and 9th Earl of Balcarres" . Record (英語). The Royal Society . 2015年9月20日閲覧 。
^ Lundy, Darryl. “David Alexander Edward Lindsay, 27th Earl of Crawford ” (英語). thepeerage.com . 2016年3月30日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Robert Alexander Lindsay, 29th Earl of Crawford ” (英語). thepeerage.com . 2016年3月30日 閲覧。
^ a b Lundy, Darryl. “Anthony Robert Lindsay, 30th Earl of Crawford ” (英語). thepeerage.com . 2023年6月10日 閲覧。
関連項目