クレオパトラ・テア
クレオパトラ・テア(希: Κλεοπάτρα Θεά、ラテン文字表記:Cleopatra Thea、紀元前164年? - 紀元前121年)は、セレウコス朝シリアの女王(在位:紀元前126年または紀元前125年 - 紀元前121年)。プトレマイオス朝エジプトのプトレマイオス6世とクレオパトラ2世の娘。シリア王アレクサンドロス1世バラス、デメトリオス2世ニカトル、アンティオコス7世シデテスの妻となる。 生涯紀元前150年、セレウコス朝でデメトリオス1世ソテルとアレクサンドロス1世バラスの王位を巡る内戦が発生すると、プトレマイオス6世はバラスを支援し、娘クレオパトラ・テアと結婚させた。バラスとの子がアンティオコス6世ディオニュソスである。 バラスは勝利したものの、まもなくプトレマイオス6世と対立し、テアは離婚した。バラスはデメトリオス2世ニカトル (同1世の子) に敗北し、テアはニカトルと再婚した(紀元前145年)。ニカトルとの子がセレウコス5世フィロメトル、アンティオコス8世グリュポスである。ニカトルがパルティアとの戦闘で捕虜となってから、ニカトルの弟アンティオコス7世シデテスと再婚し、アンティオコス9世キュジケノスをもうけた。 シデテスがパルティアに殺害されてニカトルが復位するものの、反乱が続き、ニカトルは簒奪者アレクサンドロス2世ザビナスの軍に敗走、妻テアの命令で殺害された(紀元前125年)。 テアは女王として権力を掌握し、息子セレウコス5世フィロメトルを即位させるも、対立し殺害した。フィロメトルに続きアンティオコス8世グリュポスを擁立するが、まもなく対立し、毒殺を図って逆に毒殺された(紀元前121年)。 子女最初の夫アレクサンドロス1世バラスとの間に以下の子女をもうけた。 2度目の夫デメトリオス2世ニカトル(バラスの対抗者・デメトリオス1世ソテルの子)との間に以下の子女をもうけた。 3度目の夫アンティオコス7世シデテス(ニカトルの弟)との間に以下の子女をもうけた。
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