クリスチャン・ビヤヌエバ
クリスチャン・イバン・ビヤヌエバ・リモーン(Christian Iván Villanueva Limón, 発音:vee-yan-WAY-vuh, 1991年6月19日 - )は、メキシコ合衆国ハリスコ州グアダラハラ出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。愛称は"ビヤ"[1]。 経歴プロ入りとレンジャーズ傘下時代2008年8月17日にテキサス・レンジャーズと契約。 2009年はルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・レンジャーズ2でプロデビュー、8試合に出場して打率.208・3打点・1盗塁。 2010年はルーキー級アリゾナリーグ・レンジャーズで51試合に出場して打率.314・2本塁打・35打点・6盗塁の成績で、8月31日にアリゾナリーグのポストシーズン・オールスターチームに選出された[2]。 2011年はA級ヒッコリー・クロウダッズで126試合に出場し打率.278・17本塁打・84打点・32盗塁。 2012年は2月21日にベースボール・アメリカのトッププロスペクト100で100位に選出され[3]、A+級マートルビーチ・ペリカンズで100試合に出場し打率.285・10本塁打・59打点・9盗塁。 カブス傘下時代2012年7月31日にライアン・デンプスターとのトレードで、カイル・ヘンドリックスと共にシカゴ・カブスへ移籍した[4]。移籍後はA+級デイトナ・カブスで25試合に出場し打率.250・4本塁打・9打点・5盗塁、オフの11月20日にカブスとメジャー契約を結び[5]、40人枠入りした。 2013年はAA級テネシー・スモーキーズで133試合に出場して打率.317・19本塁打・72打点・5盗塁、オフの11月12日にTopps社が選ぶAA級のオールスターチームに選出された[6]。 2014年はAAA級アイオワ・カブスで開幕を迎え、64試合に出場して打率.211・6本塁打・26打点・2盗塁、6月に降格したAA級テネシーで、62試合に出場して打率.248・4本塁打・32打点。 2015年はAA級テネシーとAAA級アイオワでプレーし、AAA級アイオワで123試合に出場して打率.259・18本塁打・88打点・1盗塁。 2016年は右腓骨の骨折でプレーしなかった。オフの12月2日にノンテンダーFAとなった[7][8]。 パドレス時代2016年12月12日にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結び、2017年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[8]。 2017年はAAA級エル・パソ・チワワズで開幕を迎えた。109試合に出場して打率.296・20本塁打・86打点、AAA級パシフィックコーストリーグのリーグチャンピオンシップに出場したが、メンフィス・レッドバーズに敗れた[9]。AAA級シーズン終了となった9月18日にメジャー契約を結び、アクティブ・ロースター入りした[10][8]。同日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦にて「6番・三塁手」で先発出場してメジャーデビュー、出場12試合で打率.344、4本塁打、7打点。 2018年は4月に打率.321、8本塁打、19打点の成績を残し、ナショナル・リーグルーキー・オブ・ザ・マンスを受賞した。最終的に110試合に出場して打率.236、20本塁打、46打点を記録した[11]。 巨人時代2018年11月21日に読売ジャイアンツとの契約を発表。背番号は33。 2019年の開幕一軍は逃したものの、翌3月30日にテイラー・ヤングマンとの入れ替わりで一軍登録、「7番・三塁手」でNPB初出場を記録した。当初はスタメンを外れることもあったが、4月9日の中日ドラゴンズ戦ではNPB初本塁打を含む2本の本塁打を放ち、翌週の4月16日からは3番で先発出場する。しかし、シーズンを通しては内角攻めに苦しみ、73試合に出場して8本塁打と苦戦した。オフの12月2日に自由契約公示された[12]。11月4日には第2回WBSCプレミア12のメキシコ代表に選出された。同大会ではチームの中心打者として勝利に貢献した[13]。 日本ハム時代2019年12月5日に北海道日本ハムファイターズが獲得を発表。背番号は44[14]。 2020年はブランドン・レアードの穴を埋めるべく三塁の定位置を期待されていたものの虫垂炎の為出遅れ、7月7日に一軍登録された。打率.220、4本塁打と打撃面で目立った成績を残せず、出場試合数は54試合に留まった。 オフの12月2日に自由契約公示された[15]。 退団後はメキシコウィンターリーグ(LMP)のチャロス・デ・ハリスコに参加した。 メキシカンリーグ時代2021年4月6日、メキシカンリーグのモンテレイ・サルタンズと契約した[16]。 ウィンターリーグでは、2020年同様、2021年と2022年もチャロス・デ・ハリスコでプレーしている。 選手としての特徴・人物右の強打者であり、守備では三塁を主に内野全ポジションをこなすユーティリティー性も魅力[1]。 巨人時代の背番号『33』は監督・原辰徳の「(本塁打を)33本以上打ってほしい」との願いが込められている[1]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
表彰
記録
背番号
登場曲
代表歴
脚注
関連項目
外部リンク
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